お初にお目にかかります。と申します。
ここ数箇月の間、私の身の回りは、それは騒々しいものでした。
予想もしていなかったことが次々と起こり、私は一生で一番大きな変化を迎えることとなりました。
もちろん、そこのことに後悔などしていません。私は、とても幸せなのですから。
「結婚、ですか? 私が」
「お前も年頃だし、いつまでも芝原の家に居るわけにもいかんじゃろうて」
「芝原の家の方はとても良くして下さいますけど…」
「芝原が何故お前を引き取ったのか、解っておるのじゃろう?」
「・・・・・・」
芝原が、両親を亡くした私を何故引き取ったのか、それはお爺様に言われなくても解っている。
だが両親を亡くした私に善くしてくれたのも事実なのだ。
「このまま、あの馬鹿息子と一緒になるつもりか?」
「お爺様、康嗣さんはお優しい方ですよ?」
「あれの仕出かした事の始末に一生金を使い続けるつもりか?」
「お世話になっているのですから」
康嗣さんはとても優しい殿方だけれど、博打遊びと女性関係の騒ぎが耐えない人で、揉め事も何度か。
その度にお金を都合して、どうにか解決してはいるけれど…。
「あれと一緒になるつもりか?」
「それは…」
芝原の叔父達が私と康嗣さんを、と考えているのは知っていますが、私としては何とも…。
悪い方ではないのでしょうけど、あの悪い癖が抜けない限り、幸せになれるとはどうしても思えないのです。
「儂の古い友人の孫でな、中々見所のある男だ。一度会ってみんか?」
お爺様のお話はやんわりとお断りしたはずなのに…。それとも「そのうち」というのはお断りにならないのでしょうか。
私は今日、ただの食事に誘われただけでしたのに。
お爺様を訪ねた私は、そのまま今目の前にいる様を紹介され、今はこうして二人きり…。
全く何をお考えになっているのか。
「様は、お爺様のご友人のお孫様とお聞きいたしましたが…」
「はい。両親共々、市塚さんに幼い頃より可愛がって頂きました」
お爺様の古いご友人のお孫様、という様は、とても穏やかな方でした。
洋装がとてもよくお似合いで、とても背がお高いのに、ちっとも威圧的な雰囲気も、怖さもありません。
ゆっくりとなさった話し方と、深みのある低い声が、とても優しく感じられました。
「そうですか。ではお会いになったことがあるかもしれませんね」
「ご親戚とお伺いしましたが?」
「市塚は祖母兄にあたります」
「それで、お爺様、と」
「はい。孫のように可愛がってくださいます」
父の母の兄、それが私と様の出会いを仕組んだお爺様です。
祖母は幼い頃に亡くなりました。
両親が旅先で事故に遭い、祖母の御元へ逝ったのは、もう4年も前のことになります。
祖母がまだ生きていた頃、私とお爺様のお付き合いは殆どありませんでした。
祖母が亡くなり、両親が亡くなってからになります。こうして頻繁にお爺様の元を訪ねるようになったのは。
御伴侶を亡くされて、お子様もいらっしゃらないお爺様は、私を本当の孫のように可愛がってくださいます。
ただ、それに芝原の叔父達が眉を顰めているのも、また、事実。
そんなことをお爺様が気にするはずもありませんが。
そのようなことはさて置き、様との初対面から10日、お爺様は上機嫌です。
「どうだ?いい男だろう。芝原の馬鹿息子とは比べものにならん」
「様はとても素敵な方でしたけど、今回のようなことはお止め下さい。私も様もびっくりしてしまって…」
正式な見合いではないものの、こんなことが芝原の叔父に知れては、あの家に居辛くなってしまうのです。
両親を失ってから4年間、私は芝原のお世話になっているのですから。
「で、話を進めても構わんか?」
「そんな突然…。一度会っただけの娘を嫁に、などと言われても様もお困りになります」
「困ってなかったぞ?」
「え?」
「向こうに依存はないそうだ。お前が良ければ…」
「待って下さい。様はこの話をお受けになると、そうおっしゃられたのですか?」
「そうだ。不服か?」
「いえ、そうではなくて…」
信じられません。
結局あの後も何度か言葉を交わしただけでお別れしましたし、本当に様がご承知なさるなんて…。
様は本当にお優しい方でした。私に合わせ、ゆっくり歩いて下さって、石段の前では手をお貸し下さいました。
康嗣さんのように良くお話になる方ではありませんでしたけど、私の話を聞いて下さって、静かに微笑んでいらして。
でも、ほんの一時一緒にいただけなのに、伴侶を決めてしまわれて、様は本当に宜しいのでしょうか。
幾ら御祖父様のお勧めがあったとは言え、こんな簡単に…。
後日、お爺様より聞いた住所を頼りに、様のお住まいを訪ねました。
失礼かとも思いましたが、様のご真意をお伺いしたくて。
『』と書かれた表札…、ここのようですね。
「ごめんください。様はご在宅でしょうか?」
バタバタと騒々しい足音がして中から出てきたのは、五つ六つほどの子供でした。
お子様がいらっしゃるというお話は聞いていませんでしたけど…、この子は?
「あの、様はいらっしゃる?」
「…姉ちゃん、誰?」
「政子、お客様に失礼だよ」
「様」
子供の後ろから声を掛けてきたのは、先日と違い和装姿の様でした。御髪も上げていらっしゃらなくて、とてもお若く見えます。
「すみません。いらっしゃるとお聞きしてしたのですが、子供たちが来てしまって」
「が一人で寂しそうだから、遊びに来てあげたんじゃない」
「そうだったね、ありがとう。お客様が来たからまた明日、おいで」
小さな子供に屈んで笑う様に、その子供は嬉しそうに笑った後、顎を上げ、得意そうに言いました。
「仕方ないなぁ。みんなー、帰るよー!」
奥からまたバタバタと足音がし、数人の子供たちが出て来て。
その子たちはやはり幼い子供たちで、私のことを興味深そうに見て、様に挨拶をし、出て行きました。
「すみません、騒々しくて。中へどうぞ」
お庭の見える広い和室に案内され、そこでお待ちしていれば、様がお茶を入れてくださったみたいで。
「誰もいないので、たいしたことは出来ませんが」
そう言って出してくださったお茶は、とてもいい香りがしました。
「ありがとうございます。突然お伺いしてしまって、ご迷惑じゃありませんでしたか?」
「そんなことありません。お断りに来たのでしょう?」
「え?」
「あなたの気持ちも考えず、喜んでしまって」
私の向かいに座った様は、頬を少し染め、ばつが悪そうに微笑んでいます。
「あの、本当に私と?」
「申し訳ありません。あなたにいい人はいるのは聞いていたのですけど、つい…。断ってくださって構いませんよ?」
様のお言葉に、私は首を捻りました。
いい人?
「ちょっと待ってください。いい人なんていません」
「あれ?芝原の息子さんと、その…」
様の疑問に、私は何故彼がそのように思ったのかを知りました。
「どこからお聞きになったのかは存じ上げませんが、違います」
「そうでしたか、私はてっきり…」
どこか安心したように息を吐く様は、何故だか少し、子供のように見えました。
噂を流しているのは、芝原の叔父夫婦です。実際の所、全くそのようなことはないというのに。
私も結婚しておかしくない年になり、三つ上の康嗣さんも適齢期と言えるでしょう。
そして、一年ほど前から叔父夫婦の噂流しが始まったのです。
本人達の意向を聞きもせず、はっきりではないが遠まわしに「いずれ」と。
叔父夫婦の考えは判っています。彼らが欲しいのは私ではなく、私の持っているものだということも。
お爺様もその話を耳にしたから、今回の話を持ってきたのだと思います。
「お爺様から、様が今回のお話をご承知なされたとお伺いしたのですけど」
「あ、はい。すみません、あなたの気持ちも確認せずに」
「いえ。でも、どうして? まだ一度お会いしただけなのに」
「今日で二度目ですね」
「はい」
「あなたのことは市塚さんから聞いていました。お会いできるのを楽しみにしていました」
「お爺様から?」
「はい。幼い頃から何度も」
私はお爺様から一度も聞いたことがないというのに。それほどまでにお爺様はこの方と親しいということ…。
「でもそうですよね。こんな男の所へ嫁にくるなんて、嫌ですよね」
「そういうことではなくて…、その、様のこと、私何も知らなくて」
様がどうだとか、そういうことではないのです。
たった2度、お会いしただけの方と、一生の契りを交わすなど、私には考えられないのです。
困っている私に、様はお優しい笑みで、提案をなされました。
「あぁ、そうですね。ではこう致しませんか?」
あれから、三月。本日は大安吉日です。
「暫くお付き合いしませんか?お互いを知るために」
そういった様の言葉通り、あれから何度かお会いしました。芝居見物に行ったり食事をしたり、散歩をしたり。
何に惹かれたのでしょう。
あの優しい眼差しや低い声、とても大きい手や柔らかい笑顔でしょうか。
訪ねたときに出てきた子供たちは様の生徒さんだそうで、様は書を教えているそうです。
「大した稼ぎにはなりません。家業のお零れで細々と食い繋いでいるのが現状ですよ」と、お笑いになっていました。
芝原の叔父夫婦は今回のことに憤慨していましたが、お爺様の一声でそれも納まりました。
しかしお爺様と芝原の叔父の仲は改善することもなく、私は先日から芝原の家を出、お爺様の家で暮らしています。
私の生家であるあの家は、本来ならば父が私に遺してくれたものです。
ですが、私に家はもう、必要ありませんし、それで叔父が納得するのなら、構いませんでした。
父と母の形見の品を纏め、私が芝原の家を出たのは、2週間ほど前になります。
「この度は、様とのご良縁が相整い、まことにおめでとうございます」
「ありがとうございます」
「様よりのご結納、お届けに参りました。幾久しくお納めください」
「幾久しくお受けいたします」
それからひと月後、私たちは祝言を挙げ、私は晴れて、「」となりました。
お爺様の企みで、様にお会いしたのは、四箇月ほど前のことです。
始めはその突然の暴挙に、私はただ、驚愕し、呆然とするだけでした。
ですが、こうして幸せなのですから、お爺様には感謝をしなくてはいけませんよね?