になり、一月が経ちました。この家にもさんとの生活にも少し、慣れてきました。





ガラガラッ
―、いるかー?」

お客様でしょうか。
畳んでいた洗濯物を置き、が玄関へ向かえば、と同じ年頃の客がいた。は初めて見る顔だ。

「いらっしゃいませ。生憎ですがは出ておりますが」
「そうか、では待たせてもらう」
そう言って男は玄関に座り込んだ。

どうしたものでしょう。初めてお会いする方ですし、主人のいないときに家に上げても良いものか…。

が思案していると、男の方から話しかけてきた。
「あんた、誰だ? 見たことのない顔だなぁ」
「私は…」
「あぁ、女中さんか? ん?でも、あいつが人を雇ったのは見たことないなぁ」
「ですから…」
「あぁ!のイロか!」
「な…!」
イロ、つまり情婦のことである。何なのだ、この失礼な人は。「イロ」などという言われ方をされたのは初めてのことだ。
「でも珍しいな、女に留守を任せるなんて」
には返す言葉もなかった。ただ目の前の男から発せられる言葉に唖然とするばかり。

「あいつはあんなナリで昔から女が寄って来てな、学生のときからそうなんだよ」
作用で御座いますか。私は全く存じ上げませんでした。
イロと呼ばれ、主人の過去の女関係を話されても、としては冷めるばかりだ。返事の仕様がない。
「姐さん、あいつを追いかけちゃいけないぜ?長く続けたかったら、付かず離れずだ」
「・・・・・・」
「あいつは女にしつこくされると嫌うし、去る女は追わねえ。昔からなぁ…」
男はそれから半時ほど、の過去の女性話をしていた。




「…家が騒がしいと思ったら、芹沢さんですか」
「よ、。邪魔してるぜ」
「お帰りなさいませ」
が帰ってきたときには、は彼の顔を見ることが出来なかった。

最初は過去の女性に嫉妬もしていたのだが、その後芹沢から聞いた話は、の世界観を変えてしまうほどの衝撃だった。
同時に、過去にそのような経験のあるが別人のように見えて、どう接していいのか分からなかった。

「ただいま戻りました。あぁ、そうか。初対面でしたね。この人は芹沢さんといって、学生の頃からの腐れ縁です」
「そうでしたか。では奥の客間を用意しますね」
と一度も目を合わせず、笑みを浮かべたまま家の奥へ入っていった。


「随分綺麗な感じの女だな。お前にしては珍しい」
「珍しい、って…。僕は芹沢さんほど女性を知っているわけではありませんよ」
「そうか? でも、ああいういいとこのお嬢さん、って感じはなぁ、重くないか?」
「重い?」
芹沢の言葉に、は首を傾げた。
「あれは別れるときに後引くぜ?」
「別れる? 何を言っているんです」
芹沢の話が怪しくなってきた。彼はどうやら酷い勘違いをしているようだ。
「芹沢さん、は僕の妻ですよ。別れるつもりはありません」
「は? 妻?」
目を見開き、本当に驚いている様子の芹沢に、は大きく溜息を吐いた。
「お手紙でお知らせしたはずですが」
「手紙?・・・・・・いやー、ははは…」



に案内され、いつもの客間へ二人が座って暫く後、が茶と菓子を持ち、やってきた。
「どうぞ」
「すみません。何も知らず、余計なことを言っちまったみたいで」
自分の前にお茶を置くに、芹沢はばつが悪そうに誤った。
「お気になさらないで下さい。私の知らないさんの話が聞けて、とても楽しかったです」
「そうですか?」
はそのままの前にも茶を置いたが、やはり目を合わそうとはしなかった。

それを訝しく思ったは、が部屋を出た後で芹沢に尋ねた。
「芹沢さん。に何を話したんですか?」





台所で夕餉の支度をする後姿に、は声を掛けた。
さん、芹沢さんは?」
「帰ったよ」
「そうですか。私、ご挨拶もしないで…」
「また明日来るそうだ。今日は用事があるようだ」
「そうですか」
用事があるなど、嘘だ。芹沢からに話した内容を聞いた後、は彼が訪ねてきた理由を聞きもせず、帰した。

芹沢が自分に話があるのは判っていたが、今はの誤解を解く方が先だった。
夫婦になって今まで、は拗ねたりしたことはあっても、本気で怒ったことなどなかった。目を合わせないことなど初めてだ。
今も炊事中と言えばそのとおりだが、に背を向け、こちらを向こうとしない。


「お夕飯、もう少しで出来ますから」
「・・・・・・」

のすぐ後ろまで行き、声を掛けた。
「芹沢さんの行ったことを気にしているのか?」
「・・・・・・」
の手が止まった。の手から包丁を取り、身体を自分の方に向けさせた。それから腰を屈め、目線の高さを同じにした。

「…お夕飯の準備が出来ません」
「過去は、過去だよ?」
「…さんの過去に口出しをする権利など、私にはありません」
「それは寂しいな」
は俯いたままで、未だ目を合わせようとしない。はそれがどうしようもなく寂しかった。
「…は、もう僕を嫌いになったかな?」
「そんなこと…っ」
ようやっと顔を上げたの目に映ったのは、とても寂しげな顔をしただった。

「…っ、違うんです。私、さんに酷いことを言ってしまいそうで…」
「言っても構わないよ? のように過去に誰もいなかったわけではないからね」
「そうではなくて…、私何も知らなくて…」
「知らなくて?」
「他の女の人みたいに、その…、さんのために何も出来なくて」
芹沢はいったい何を言ったのだろう。が聞いたのは、を情婦扱いし、過去に女性がいたという話をしたということだけだ。
しかし、の様子を見ているとそれだけではない気がする。

、芹沢さんに何を聞いたんだい?」
「え? ・・・・・・・・・」
芹沢の話を思い出して、は顔を真っ赤に染めた。

全くあの人は…。が恥ずかしくて口に出せないこと…、は芹沢の話が大体想像が付いた。
若い女性にする話ではないでしょう。

「あの…、口移しでお食事を食べさせて差し上げたとか、その、体を洗ってさしあげたとか、その…何も身に着けないで…」
あぁ、やっぱり。の様子では他にも何か聞いたのだろう。
確かに若い頃、耽美な遊戯に耽ったこともあった。あれはあれで、それなりに楽しかったのだが、それをに求めようとは思っていない。
はそんなことをしなくていい」
「でも、さんが喜ばれるって」
「芹沢さんが言ったのかい?」
「…さんは女性に飽きられるのが早いので、私に頑張るように、と」
「・・・・・・」
「でも私、芹沢様の言われたようなことは恥ずかしくて…、それでどうしようかと考えていたらさんのお顔が見られなくて」

食事を口移しや裸で体を洗うなど、には出来やしない。それに他にも、あんなことやこんなこと…。
思い出してしまったはまた頬を染め、下を向いた。
さんは『寄って来る物は拒まず、去る者は追わず、付かず離れず』だそうで、私にはそれをどうしたらいいのか分からなくて」
「それも芹沢さんが?」
「はい」
はぁー、いったい何を吹き込んでくれたのだか。これは後でお仕置をしなくてはいけませんね。
、君はそんなことを気にする必要はない」
「でも…!」
「昔の話だ。女性に対して何の執着もなかった頃の」

はその大きな手での両頬を挟み、顔を上げさせた。そして鼻が付くほど顔を近づけて、真剣な顔で自分の気持ちを伝えた。
「今の僕は以外に興味はないから」
さん…」
「寄って来る者は目に入らないし、が去ったら必死で追いかけるよ?」
「私、去ったりしません」
「それは良かった」
そう言って微笑んだに、は鼓動が早まり、目を逸らそうとした。しかしそれをする前に、に唇を奪われた。
「…っ、さん…」
「こうするだけで嬉しいのに、に飽きるなんてあと千年はかかりそうだ」
優しい笑顔を惜しげもなく晒すに、は胸の鼓動が高まるのを感じる。

千年…、その永遠とも思える長い年月を、この人は一緒にいてくれるというのだろうか。
この身が朽ちて、天に召されても。再びこの世に生まれ変わるときになっても、私を側に置いてくれるのだろうか。

「私…、口移しでお食事を、なんて当分出来そうもありませんけど」
「僕が君に望むのは、ただ僕の側にいてくれることだけだよ。それも無理かい?」
「…少しだけ、嫉妬しました。私の知らないさんを知っている女性に」
「これからの僕を独り占めできるというのに? 欲張りな女性だ」

「…一生、お側に置いてください」


の大きな胸に身体を寄せ、はその身を優しく抱き締めた。





翌日。

、今日は一緒に出かけようか?」
「え? でも芹沢様がいらっしゃるのでは?」
「構わないよ。そうだ、芝居でも見に行こうか。帰りにどこかで食事をして来よう」

いそいそと訪ねて来て、不在を嘆くがいい。を情婦扱いし、余計なことを吹き込んだ罪は重いよ、芹沢さん。








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