立派な門構えに手入れされた広い庭、中に続く屋敷も大きかった。




坊ちゃま、いらっしゃるなら連絡位してくださいな」
「悪かったね、サトさん。兄さんはいるかい?」
「ここにいるよ」
奥から顔を出したのは、によく似た、しかし彼よりも幾許か年上の男性だった。

「完吾様、ご無沙汰しております」
「やあ、さん。いらっしゃい。式以来かな?」
完吾。の兄であり、この本家の長男だ。
「完兄さん、二、三日世話になりたいんだけど」
「それはもちろん構わないが、何かあったのか?」
「少しね。義姉さんは元気?」
「あぁ、お前達の部屋を準備しているよ。櫻は返さないつもりらしい」
「身重の体でよく動くね」
「あれが元気なのはいつものことさ。サト、さんを櫻の所へ案内してくれるかい?」
「はい、只今」
女中頭のサトに連れられ、はこの家の女主人でもある、完吾の妻、櫻の所へ向かった。


「どうしたんだ? 新婚生活は上手くいってないのか?」
「そうじゃないよ。ちょっと芹沢さんから逃げていてね」
「芹沢君? 彼は相変わらずか?」
「そう。相変らず過ぎて困るくらいにね」
苦笑いのに、完吾は優しい瞳を向ける。

自分より少し背の高い末の弟が嫁を娶ったのは、つい一月前のことだった。
ここから少しはなれた郊外に自分の居を構えていたは、そこで新婚生活を送っているはずだった。
二人の邪魔をするのも悪いと思い、完吾は敢えて、弟夫婦を尋ねることもせず、実家に誘いもしなかったのだ。

「何があったんだ?」
「…を僕の情婦と勘違いしてくれてね」
「それはまた…」
「文を出したはずなんだけど」
「彼のことだから読んでいなかったんだろう」
芹沢はの学生時代の先輩で、完吾も良く知っている。豪快で明るく、驚くほどに自分の周囲に無関心だ。
その彼が「万屋」を営み、人の世話を焼いているというのだから驚きだ。彼の好奇心の強さは知っていたが、こういう方向に出るとは。
「そのようだね。おまけにに僕の過去の女性関係を話してくれたみたいで」
「おやおや」
それではいつも温厚な弟も怒るというものだ。昔からすぐ下の弟とは対照的に静かな子だった。
しかし自分のお気に入りのものが傷つけられたとき、大切なものに害が及ぶ場合は、彼はとてつもなく冷徹に、熱く怒りを表す。

芹沢君も飛んだ鬼門を突いてしまったものだ…。完吾は今ここにいない、弟の友人を哀れに思った。
さんは大丈夫だったのか?」
「問題ないよ。でも暫くあの人の頼みを聞く気にはなれなくてね、こうして逃げているんだ」

昨日は芝居見物に行き、帰って来たのは夜中だった。だが連日夜中まで外出するわけにも行かない。
そこで身を眩ます手段として、は実家へ帰ることを思いついたのだ。
「私としては大歓迎だよ。櫻も妹が出来たと喜んでいたし」
「他の人たちは?」
「じい様も父さんも、いつもどおりさ」
「真吾兄さんは?」
「二人にくっついてるよ」

この家には本来、あと三人、住人がいる。
家の当主の祖父、完と、彼の息子であり三人の子供の父親でもある完治郎、家次男の真吾だ。
しかしこの三人が家に寄り付くことは殆どなく、その好奇心を仕事に費やすために、方々各地を飛び回っている。
前回帰って来たのは、末息子の祝言のときだった。

「相変わらずだね」
「そうだな。でもそのおかげで私はこうして、家でのんびりしていられるからな」
祖父、父、次男が仕事で外を飛びまわり、長男である完吾が家を取り仕切るのが、自然とこの家の決まりごとになっている。
落ち着いたしっかり者の完吾は家に、好奇心旺盛でじっとしていられない真吾は外に。適材適所というものだ。
も兄達の手伝いをすることもあるが、基本的には静かに暮らすのが好きなのだ。

「ま、暫く世話になるよ」



さん、どう? さんとは上手くいってる?」
「はい。櫻さんもお元気そうで」
「体はだんだん重くなるけどね。見てよ、このおなか」
祝言のとき、少し目立つくらいだった櫻の腹は、この一月の間に更に大きさを増したようだ。
「赤ちゃん、順調そうですね」
「もう元気すぎて。きっと男の子ね。蹴飛ばす力の強いこと」
「もう動くんですか?」
「とてもね」
膨らんだ腹を撫でる櫻の顔は、もう母親そのものだ。は眩しいものを見ているような感じを覚えた。
「いいな、赤ちゃん…」
「何言ってるの。さんもすぐに仲間入りよ」
「!!」
真っ赤になるが可愛らしく、櫻は一月前に出来た妹をからかった。
さんに可愛がってもらってるんでしょ?」
は更に顔を赤くし、俯いた。
「…さんは、とても優しくしてくださいます」
この様子だと取り越し苦労のようだ。突然実家を訪ねて来た新婚夫婦に何かあったのでないかと、夫同様、櫻も心配していたのだ。

「ねぇ、触ってみて?」
櫻はの手を取り、自分の腹に当てた。
「・・・・・・、あ」
「元気でしょ?」
「はい」
櫻の腹に触れる手から、確かに生命の躍動を感じる。この中に完吾様と櫻さんの赤ちゃんが…。
はとても神秘的な、神々しいものに触れた気がした。


いつか私も、さんの赤ちゃんを…。



は、もうすぐこの世に出てくる赤ん坊と、まだその芽もない自分の将来を思い、櫻の姿を眺めていた。




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