「あら、芹沢様」
「…やっと見つけたぁ」
「私に何か?」
「はどこに? ここ五日、ずっと家にいないし…」
「さんなら、家にいますよ?」
「は?」
「子供たちに読み書きを教える日ですから」
「あ!」
買い物の途中で名を呼ばれ、が振り返れば、そこにいたのは六日前に家に来た芹沢だった。
「また明日」といわれ強引に返された芹沢は、その言葉通り、翌日も宅を訪ねたが、誰もいなかった。
暗くなるまで待っても帰って来ず、渋々家を後にしたのだが、その翌日も、翌々日も、宅は猫の子一匹いなかった。
そうして五日間、待ちぼうけを食らった芹沢は、とうとう町中の探索に手を伸ばし、買い物途中のを見つけたのだった。
「芹沢様がいらした次の日は、お芝居を見に出かけて、お夕飯も食べてきたので、帰って来たのは遅かったんです」
「その次の日は?」
「の実家の方に。今朝、帰って来たんですよ」
やっぱり自分は避けられていたのか…。芹沢も気付いていた。
は、芹沢が彼に用事があると判っていて、態と家を不在にしていたのだ。これは、相当ご立腹だな…。
「あの、さん。すみませんでした!いろいろと失礼なことを言って」
二人並んで宅に向かう途中、往来の真ん中で芹沢はに頭を下げた。
が起こっている原因など、芹沢には解り過ぎるほど、判っている。六日前の、この奥方に対する暴言の数々でしかないのだ。
「あぁ、お止めください。殿方がこのような場所で頭を下げるなど…」
若い女性にいい年の男が直角に頭を下げている図など、人の往来の多い町中では目立つ。は困ったように、芹沢の顔を上げさせた。
「しかし…」
「私は気にしていません」
「しかしあなたに許してもらわないと、が…」
「あぁ」
は納得がいった。六日前、大して気にした風でもなかった芹沢が、こうして人目を気にせず自分に頭を下げる理由が。
彼はに用があると言っていた。五日間も探し続けるくらいだから、余程大切なようなのだろう。
確かに芹沢の発言でとの仲が少しおかしくなったこともあったが、終わってみれば以前より近くなれた気もする。
が芹沢に怒っているだろうことは解ったが、目の前の人物を見ていると、些か気の毒に思えてくる。
「大丈夫ですよ。私と一緒に帰ったら、さんも帰したりはしないでしょうし」
「そう願います」
実際芹沢が狙っていたのもそれだった。この六日間のの行動で、彼が如何にこの女性を大切に思っているのかが解った。
だからこそ、を探し、まず彼女に許しを請うことが解決への一番近道だと。
言葉遣いも丁寧にし、態度も謙り、まずを味方につけることが、への道となる、と。
「万屋さん?」
「そう。まぁ、何でも屋。迷い猫探しから人物調査、揉め事解決まで、何でも」
「大変そう」
「ま、それほど大変な依頼なんて滅多に来ないのが現状。収入も安定しねぇし…、だからこそがなー」
「万屋さんのお仕事とさんに関係が?」
「あぁ、あいつはあれで人の話を聞くのが旨いから。見通しがつかないヤマなんかはあいつに話してると、不思議と糸口が見えてきたりするもんで」
「さんに?」
「そう。それで今回も相談しようと思ったら、どうも、怒らしちまったみたいで…」
「そんなに怒っていませんよ」
「どうだか…」
宅の前まで来て、芹沢の足は止まってしまった。
幾らと一緒に来たからと言って、このまま追い返されてしまっては…。芹沢は頭を掻く。
そんな芹沢を見て、は微笑んだ。「これを持っていてくださいね」と、買い物の包みを芹沢に渡し、門を潜って行った。
「ただいま帰りました」
が少し大きめの、よく通る声で帰宅を告げれば、中から足音がして幼い女の子が出てきた。
「さん、おかえりなさい」
「ただいま、政子ちゃん。お教室は終わり?」
は腰を屈め、女の子と同じ目線まで顔を下げてから、尋ねた。
「うん、もう帰るところ。あたしが最後なの」
「そう、気をつけて帰ってね」
女の子を見送った所で、ようやっとこの家の主人が姿を現した。
「遅かったな、」
「すみません。お客様に会ってしまって」
「客?」
がの後ろに視線を異動すれば、居心地悪そうに立っている友人の姿が見えた。
「・・・・・・」
「よぉ…」
芹沢にいつものような厚かましさはない。対するも無表情で、芹沢を見続ける。
「芹沢様、荷物を持って頂いてありがとうございます」
はにっこり微笑んで芹沢から包みを受け取った。
それはついさっき、芹沢に渡されたものだが、芹沢も態々の気遣いを無碍にするようなことはしなかった。
「どうぞ、中へ。もう夕方ですし、お酒でもお付けしますね」
はそのまま家の中に入り、の横を通るときに微笑んだだけで、台所へと姿を消した。酒とアテの用意をするためだろう。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
唯一和やかな雰囲気を醸す女性がいなくなったことで、宅の玄関では殺伐とした空気が流れていた。
は無表情のままに芹沢を見続け、芹沢はばつが悪そうに頭を掻いたまま。
「はぁ、上がってください」
先に言葉を発したのはだった。芹沢に対して怒りが会ったのも確かだが、が客だといった以上、追い返すわけにも行かない。
「すまん」
芹沢もそう言って、先を歩くの後を付いて行った。
「どうぞ」
「これは、すみません」
座卓の上には小魚の佃煮や青菜の和え物、奴などといった酒の肴が並べられている。
芹沢の横では、手拭で燗を持ったが酌をしている最中だ。
「肌寒くなってきたのでつけましたけど、お冷の方が宜しかったですか?」
「いえ、充分です」
若い女性に、しかも人妻に酌をされるというのはいい気分だが、何せ向かいにいる旦那の視線が怖い。芹沢の身は小さくなっていた。
芹沢に酌をした後、は移動し、今度は主人のお猪口に酒を注ぎだした。
「そんな怖いお顔されていたら、お酒も美味しくなくなってしまいますよ?」
にそう言われても、の無表情は変わらない。自分の妻が、芹沢に酌をするのが気に入らない。
小さな盃に酌をするとなれば、当然その身も近づけなければいけないわけで、それに照れを示す芹沢も気に喰わない。
「そんなお顔で私の作ったものをお食べにならないでくださいね?」
はそう言い残し、部屋を後にした。料理の途中だと言う。
の注いだ酒を口に含み、は口を開いた。
「それで、芹沢さん。今回はいったいどのような案件なんですか?」
この五日間の不在を謝るつもりはない。当然の仕返しだ。しかし、が許している以上、これ以上の暴挙をするつもりはなかった。
「悪かった。反省している」
芹沢は頭を下げ、に用件を話し出した。
いつものように、芹沢は愚痴混じりにその内容を話し始める。
やれ、外の張り込みは大変だ、とか、依頼主はどうとか。そんな内容が殆どのだ。
は別に芹沢に助け舟を出すわけではない。
ただ、芹沢の話を聞き、無駄なことを省いて、芹沢に確認するだけだ。煮詰まり、ごちゃごちゃになった話を、整理する。それだけだ。
そうすると、何故か芹沢に解決の糸口が見えてくる。
客観的に芹沢の話を聞くに、芹沢の猪突猛進、脈絡のない話が、芹沢自身にも客観的に、冷静に見えてくるのだ。
40分ほど後、野菜とがんもの含め煮と魚の味噌漬けを盆に乗せ、が部屋を訪れたとき、芹沢の話は終わっていた。
「間男、さんですか?」
そのまま部屋を後にしようとしたをが呼び止め、一緒に酒を酌み交わしながら、芹沢はにしたのと同じ話をにもした。
「そう。しかしその間男は見つからない」
芹沢の話はこうだ。
とある男の依頼を受け、その内容は妻の浮気相手を突き止めて欲しいというものだった。
暫くその妻を張り込んだが、浮気相手に会っている様子はない。それを依頼主に伝えたが、それはないと言う。
芹沢が張っている間にも、妻は浮気相手との逢瀬を楽しんだことは間違いないと。
夫の誇大妄想かとも思ったが、どうやらそうではないらしい。
妻の肌に、夫が身に覚えのない『痕』があるのだと言う。浮気相手の付けた紅い痕が。
そうして芹沢は再び妻の同行を張ったが、やはりそれらしき人物と会っているのは見つからない。
とうとう困り果てた芹沢は、に愚痴がてら、その案件を整理しに来たのだ。
「でも、幾ら何でもその奥方様も家も一歩も出ないというわけではありませんでしょう?」
「確かに。買い物やら友人に会うやらで家を出ることはあったが、別にどこかの宿にしけ込むわけでもなく、ずっと俺が見ていた」
「そうですか…。では無理ですねぇ」
「そうなんだよ。だから俺も困ってるんだ。夫は絶対浮気相手に逢っていると言い張るし…」
と芹沢の会話に口を挟むことなく、は酒を呑みながら、肴を口に運んでいる。
は空になったのお猪口に新しい酒を注ぎながら、少し考え、芹沢に尋ねた。
「お宅を訪ねる人はいないのですか?」
「お花のお師匠さんでね、お弟子さんたちはよく来る。だが、皆着物姿の女性ばかりだ」
「他には?」
「他にも来る人間はいるが、それは皆、玄関先だけですぐに帰る。あぁ、もうさっぱりだ」
芹沢は頭をごしごしと掻いた。どうやら困ったときに頭を掻くのは、彼の癖のようだ。
「…それでしたら、可能性は三つほどですね」
「え?」
の発言に芹沢は目を丸くした。自分の気付かなかった可能性が、この若い女性には見えたというのだろうか。
「一つ目は、芹沢様が見落とされたという可能性。裏口とか、他に出入り口があって」
「それはない。あの家に他の出入り口はないし、一月も毎日張って、見落とすなんてことは有り得ない」
「一日中張っていたわけではないでしょう」
の可能性にが助け舟を出すが、それもすぐさま芹沢に否定された。
「ないな。主人が出かけてから帰ってくるまで、ずっと張っていたし、俺がいないときには他の奴が張っていた。見落としはない」
「でしたら二つ目。その間男さんは既に家の中にいた」
「は?」
「まぁ、有り得るな。家の中に男を匿って、逢っている」
「でも、ご主人様に見つからずにそんな長いこと人ひとりを匿うなんて、とても大変でしょうねぇ」
「さん…、それは余りにも現実的じゃないでしょうよ。旦那が浮気に気付いたのは、三月以上も前なんだから」
「ですよねぇ、可能性としては低いですよね」
「で、三つ目は?」
半分呆れ、でも半分で期待を捨てきれないまま、芹沢はに問いかけた。
「お弟子さんたちの中に間男さんがいらっしゃるんです」
「・・・・・・は?」
芹沢の期待は裏切られた。先ほど「弟子は皆女性だ」と言ったばかりではないか。
ではなく、の話を真面目に聞いた自分が馬鹿だった、と、芹沢は肩を落とした。
「まぁ、そうだろうな」
「、お前まで…。確かにお弟子さんたちは長いこと家にいたが、皆着物姿の女性達なんだぜ? 浮気相手は女だと?」
「それも有り得ない話ではないでしょうが…」
「確かにそうだが…」
芹沢は納得できない。幾らが賛同しても、可愛い妻の意見に無理矢理同意したとしか思えなかった。
「女性の格好をしているからといって、女の方とは限らないでしょう?」
助け舟を出したのは、だった。
「ご近所さんに怪しまれないために、女性の格好をしてお弟子さんの振りをする。若い殿方なら無理ではないと思いますけど」
「じゃあ何か?浮気相手は女のなりをして、堂々と逢引に来ていると?」
芹沢が同意を求めたのは、ではなくだった。
「前の二つの可能性が低い以上、その可能性が一番大きいでしょうね。お弟子さんたちを調べることをお勧めしますね」
芹沢は持っていた箸をおき、立ち上がった。
「芹沢様?」
「あぁ、さんご馳走様。も有難うな」
の制止も聞かず、芹沢は足早に宅を後にした。
こうなればすることは決まっている。弟子たちの顔は覚えている。人を使って弟子たちをつけさせれば、その家も、その素性もすぐに分かるだろう。
幾らうまく隠しているとは言っても、必ずどこかで女から男に戻っているはずだ。早速明日からまた、張り込みだ。
芹沢の気はもう、宅にはなかった。明日からしなくてはいけないことを頭の中で整理しながら、道を走っていた。
「…宜しかったんでしょうか? こんな途中で帰られてしまって…」
「構わないさ。芹沢さんが欲しかったものは手に入ったのだろうから」
不在となった向かいの席には、呑みかけの酒と食べかけの肴が、所在なさげにそこに放置されたままだ。
それを気にすることもなく、は酒を呑み続ける。
「あの人はいつもそうなんだよ。慌しくていけないね」
「楽しい方ですけど」
その後もとは、突然いなくなった客人を気にすることもなく、静かに二人だけの時間を愉しんだ。
後日、箱一杯に詰められた薩摩芋が宅へ届けられた。差出人は芹沢だ。
「こんなにたくさん…、どうしましょう」