祈り 後
その知らせを聞いたとき、私は、潜入捜査を終え、部隊長への報告をしていた。
仲間の誰もがその知らせに顔色を変えた。
それは部隊長も例外ではなく、それでも部隊長は、任務を優先させたのだ。
それが忍だから、と。
何もかもが、壊れていた。町も、建物も、人でさえも。
木の葉の門を潜った私が見たものは、九尾によって破壊された、木の葉隠れの里だった。
小さな赤ん坊の泣き声が聞こえる。
人々は、その赤ん坊に憎しみの瞳を向ける。
だが、三代目に抱えられたその赤ん坊もまた、私達と同じように失ったのだ。
は複雑な面持ちで、三代目の腕の中で泣く赤ん坊を眺めていた。
憎しみがないといえば、嘘になる。
だが、この小さな命に託された大きな想いが、その憎しみを戒めているような気がする。
憎んではいけない、恨んではいけない、と。
この赤ん坊は、この里のために泣いているのだ、と。
慰霊碑の前では、九尾に立ち向かった忍たちを偲び、盛大な葬儀が行われていた。
そして、同じように九尾の被害に遭った一般人たちも、この地へと亡骸を埋められた。
傷付き、崩壊した里の中で行われる葬儀は、人々の心の傷を表すかのように、悲しく、寂しいものだった。
黒い忍装束が集まる中に、もまた、同じ忍装束で佇んでいた。
つい三日ほど前、この手で愛する家族をこの地に埋めた。
美しかった母は、その身に傷一つなかった。
母をその全身で護った父は、背中に大きな傷を負っていた。
一番上の兄は、顔の半分がメチャクチャで、二番目の兄は、片足がなかった。
それでもは、家族達の亡骸を自分の手で運んだ。
目を覆いたくなるような家族の姿を、他の誰の目にも晒したくなかった。
「…護れなくて、ごめんなさい」
小さく呟いたの叫びは、人々の嗚咽の中へと消えていく。
忍になることを反対した家族は、この地に眠っている。
忍になったことを誇りだと言ってくれた家族は、今はもういない。
憧れ続けた忍は、自分の命と引き換えに、この里を護った。
大切なものを護れなかった私は、今、どうしてここに立っているのだろう?
修行に、任務に、は明け暮れた。
自分の身を苛めるように、自分の心を塞ぐように。
そうしていなければ、自分が忍でいる意味を失いそうだったのだ。
あの小さな赤ん坊を恨むことなど、してはいけない。
彼は、自分が憧れて、目指して止まないあの忍が、その運命を託した命なのだから。
あの小さな赤ん坊もまた、自分と同じように大切なものを失ったのだから。
「、休みを取るのだ。そのままではお前が倒れかねん」
「大丈夫です。忍が足りない今、私だけが休むわけにはいきません」
まるで自分を良さ締めるように任務をこなすを心配し、三代目は彼女に休暇を勧めた。
九尾の惨事により、里に忍が不足しているのは事実だ。
それでも、自分の家族を一度に失い、また、その場にいることすらできなかった彼女には、休むことが必要だと、三代目は考えていた。
だが、に必要なのは休暇ではない。任務だ。
「中忍になりたての私では力不足かもしれませんが、里の為に働きたいのです」
頑なに自分の提案を拒否するに、三代目は大きな溜息をついた。
「せめて任務を減らす。それを三代目火影の命とする」
「承知」
丁寧に頭を下げ、その身を消した忍を思い、三代目火影は再び、大きな溜息を吐いた。
家族を、愛する者を失ったのは、だけではない。
里の惨事にこの地を離れていたことを悔やむ忍は、だけではない。
それでも、三代目が彼女を気にしたのは、彼女がまだ、中忍になりたての忍だったからだ。
数箇月前の中忍選抜試験で、は見事、中忍の称号を得た。
数多くの下忍たちが挑んだその試験で、彼女は際立つ技量と才覚で、その場にいた者達を納得させた。
その年、木の葉の合格者は、わずか三名。初の挑戦で中忍となったのは、だけだ。
共に合格した二人の内、一人はその命を九尾に奪われ、もう一人はもう、歩くことすらできないだろう。
中忍選抜試験の合格者の中で、この里を離れていただけが、その難を逃れたのだ。
否、難を逃れたとはいえないだろう。彼女もまた、家族を失うという悲劇に見舞われたのだから。
「…どう思う?」
彼独りしかいないはずのその部屋で、三代目火影はその重い口を開いた。
その瞬間、どこからともなく、一人の男が姿を現した。
真っ黒な忍装束に、狐面。火影の前でその面を外した男の顔には、大きな傷が二つ、その片目を潰していた。
「駄目になるでしょうね、あのままじゃ。何れ燃え尽き、忍として生きられなくなる」
敷居の影に隠れ、気配を絶っていた男の、それがを見た感想だった。
「…優秀な忍を潰すのは、儂とて本意ではない」
「それで自分に?別の意味で潰れても知りませんよ」
意地悪くその顔に笑みを浮かべた男は、嘗て二人の忍を辞任へと追いやってきた。
忍を辞めた彼らにとってそれが幸だったのか不幸だったのかは、定かではない。
それでも敢えて、三代目はこの男にを預けるつもりでいた。
「見込みはある。そうは思わんか?」
「技量だけのことを言っているのなら。あれの精神(こころ)は、自分には量り兼ねますので」
それは三代目とて同じこと。人の心の強さなど、容易に他人が量れるものではない。
何かを考えるように両手を組み、瞳を閉じた三代目は、しばしの沈黙の後、その顔を上げた。
「暗部々隊長シバ。の暗部入隊を命じる」
「承知」
「面、黒い忍装束、刺青。それが欲しいか?」
突然そう問われたは、言葉を失った。
面、黒い忍装束、刺青。それが意味することを、とて知らないわけではない。
「どうだ?いらないのなら、この話は忘れろ」
狐面を付けたまま、自分を見下ろす大きな男は、馬鹿にしたような声色で、に問いかけた。
彼の左手につけられた紋章は、それが隊長であることを表している。
暗部々隊長。
中忍程度では、その姿を拝むことすらできない、暗殺戦術特殊部隊の頂点に立つ人物だ。
冗談だと、は思った。中忍になりたての自分が、暗部入りなど。
だが、目の前の男は、どう見ても冗談を言う人間には見えない。
それどころか、ただ対峙しているだけで、逃げ出してしまいたくなるほど、恐ろしい。
「どうする?」
怖かった。ただ、問われているだけなのに、その足が震えるほど、この男が怖かった。
それでも、はどうにか自分の気を奮い立たせた。
この人物に向かい合わなくては、暗部入りなど、遥か遠いおとぎ話だ。
「…私は、強くなれますか?」
自分よりかなり大きな男の面越しの顔を、見上げるように真っ直ぐと、は見た。
「強くなるのはお前自身だ。俺は知らん」
突き放すような、否定するような言葉を投げ捨てられても、は怯まなかった。
その、まるで睨むかのように真っ直ぐと自分を見る、まだ小さな少女の瞳に、シバは狐面の下で楽しそうに微笑んだ。
「お前が望むなら、その手助けはしてやる。この俺自身がな」
「…っ!」
じろりと、面越しで見えないにも関わらず、はその視線が突き刺さったように感じた。
怖い。
でも、今この男は何と言った?
手助けをする、と、この男自身が、自分を強くする手助けをしてくれると、そう言ったのではないか?
先代暗部々隊長の跡を継ぎ、最恐と呼ばれるこの男自身が、だ。
身体が震えた。
恐怖なのか、嬉しさなのか、彼女にも判らない。
だが、次の瞬間、の口は、彼女の心より先に動いていた。
「宜しくお願いします。師匠」
「どうしたの?」
「ん…」
気だるい熱にまだ身体が支配される中、は自分の下にいる男の左目に触れた。
右とは違う色のその左目。その上下に走る大きな傷を、の指がなぞる。
触れられた指の温かさに、カカシはゆっくりと瞼を下ろした。
「…この瞳が怖い?」
「怖い?」
カカシの思いがけない言葉には目を丸くした。
右のカカシが生まれ持った瞳とは違う、本来の彼とは違う瞳。
特殊な力を持つその瞳を、は一度として怖いなどと思ったことはなかった。
「これは、俺の罪の証だよ?」
綺麗だと思う。
「覚悟の証、でしょ?」
友の命を背負った、それがカカシの左目だ。綺麗で、美しいと、は思う。
薄く、再び開かれた瞳は、そこに僅かな悲しみをはらんでいるようにも見える。
「違うの。私が見ていたのは、この傷」
は再び、カカシの左目に走る傷に触れた。
その指はとても優しく、そこに愛情が含まれていることに気が付いたカカシは、ゆっくりと微笑んだ。
「私ってここに傷がある男に縁(えにし)があるみたい」
「縁…?」
自分の左目に走る傷を思い出し、カカシは考えた。
自分の他に左目に傷を持つ男が、の周囲にいただろうか?
「その男、誰?」
「さぁ、誰でしょう?」
嫉妬を含んだカカシの瞳に、は楽しそうに微笑んだ。
おそらく、カカシは暗部々隊長の素顔を見たことがないのだろう。
暗部に所属している忍でさえ、彼の素顔は拝めない。
彼の元で鍛えられたでさえ、その素顔を見たのは数えるほどだ。
「で、誰なの?」
「クスクス、教えない」
本気で嫉妬し始めたカカシが可笑しくて、はカカシの首にその腕を回した。
「その男が、の初恋の男?」
「…クス、有り得ないわ」
あの男に恋をするなど、例え天が逆さになったとしても、有り得ない。
カカシの妙な勘違いが、は可笑しくてたまらなかった。
生きる道を失った、あの十歳の夏。
私に「道」を与えてくれたのは、間違いなくあの男だろう。
その方法は必ずしも優しいものではなかったが、それでもその結果に間違いはない。
尊敬と感謝の念は、今も持ち続けている。
それでも、未だにあの男の前に立つと、震えそうになる足に力を入れなくては、立てなくなってしまう。
あの男に恋心?有り得ないわ。
その意味も過去も違っても、同じ場所に傷を持つ男が二人。
一人は、この世で一番恐ろしく、そしてこの世で一番鬼畜な男。
もう一人は、この世で一番愛しく、そしてこの世で一番失いたくない男。
一人の男に誘われて暗部に入り、もう一人の男と出会い、今、ここにいる。
そんな皮肉な因果が、の押し殺した忍び笑いを誘う。
自分の肩に顔を埋め、剥き出しの胸の上で肩を震わせる彼女に、カカシは怪訝そうな表情を向ける。
に「縁」があるという、自分と同じように左目に傷を持つ男が気にならないわけではない。
それでも、こうして何も身に付けず、自分にすべてを預けている彼女を見ると、どうでもいいことのように思えてくる。
「…っ、やだ。どこ触ってるのよ」
「ん〜、のオシリ?」
「スケベ!」
裸の自分の上に、同じく裸で乗っている彼女から「スケベ」と言われたところで、何の説得力もない。
カカシはその両手での柔らかさを愉しみ、その奥に隠された熱を探り始めた。
「…んっ、もう。馬鹿…」
口では否定しつつも抵抗しないに、カカシは満足げな笑みを漏らした。
手を伸ばせば、一番近くに彼女がいる。
それならば、カカシの心を占めるのは、嫉妬でも怒りでもなく、ただの愛情だ。
幼い頃、忍になることを心に決めた少女は、大切なものを失った。
心に大きな傷を残したまま、再び大切なものを見つけた彼女は、もう既に忍ではない。
彼女の父が毎日捧げた祈りは、木の葉の神々に届いていたのだろうか。
血を浴び、死に泣き、傷を負った娘の手の中には、今こうして確かに、刹那な幸せが存在しているのだから。