祈り 前





この忍の里に生きる私達は、皆業を負って生きているのだ。
実際に戦っている忍だけではない。
彼らに護られ、共に生きている我々もまた、人の命を奪って息をしている。
敵の命、仲間の命、皆の命の上に私達は立っている。


血の臭いをさせて帰ってきた彼を見たとき、ふと、父の言葉を思い出した。
ちゃん?」
「…何でもないの。お帰りなさい、カカシ」
遠い思い出の中の父に想いを馳せ、は無事に帰ってきた愛しい人に微笑みかけた。





代々刺繍を生業とする家の末娘として、は生を受けた。
評判の腕を持つ四代目の父と、優しい母、そして二人の兄に囲まれ、は幸せだった。
父や年の離れた兄達の紡ぎだす美しい刺繍に心を奪われつつも、彼女は漠然と知っていた。
自分は父や兄達のようには生きられない、と。

長い、大きな大戦の後に生を受けたは、父や母から忍達の話を聞いて育った。
父の口から語られる忍は、にはおとぎ話の世界だった。
彼女の知っている忍は、いつも優しく、を可愛がってくれる、この家を訪れる客だ。
そんな彼らに自分たちが護られていることも、彼らが厳しい世界に生きていることも、
はただ、漠然としか理解できなかった。


、今日のオススメは?」
「小鳥さん!かわいいでしょ?」
幼い少女が差し出す布には、黄色の糸がグチャグチャに絡まっている。
どう見ても「小鳥」には見えないそれを、忍装束の客は飴玉と交換に購入していく。
それは、この店の中で行われる日常で、そんな子供のお遊びに客達は心を和ませ、女主人である母親は困った表情で頭を下げるのだ。
、奥へ行きなさい。ご迷惑だろう」
「…はい」
職人であり、主人である父親が置くから顔を出せば、このお遊びも終わる。
ここからは、大人の、商売の時間だ。
子供であるは店の奥へと追いやられるのが、この家の決まりごとだ。

「娘がご迷惑をお掛けして、いつも申し訳ありません」
「迷惑だなんて思っちゃいませんよ。は可愛いですしね」
頭を下げた主人に忍装束の男は首を振る。
実際、店の看板娘のを迷惑だと思っている客などいないのだ。
それでも、この店の主人は、それに甘えて娘のしつけを怠るような父親ではなかった。
「御祝言用の刺繍でしたよね。今八割方仕上がっております」
主人が客の前に広げた真っ白な布には、鮮やかな鳳凰がその命を燃やしていた。
「さすが屋さんだ。蓄えを叩いて頼んだ甲斐があったよ」
「ありがとうございます」
白い布地に飛ぶ鳳凰に恐る恐る触れる男の表情に、頭を下げた主人と女将は満足げな笑みを漏らす。
「これから仕上げを行いまして、数日中には仕立屋さんにお渡しできます」
「お願いします。自分はこれから任務なので」
「では、お帰りになったら御祝言ですね」
「その予定です」
はにかんだ照れ笑いを浮かべる男は、誰から見ても幸せそうに見えただろう。
「お帰りをお待ちしております」

任務へと向かう忍の客達を、父や母達はいつもこうして送り出す。
幸せな未来を胸に、任務へと赴いたこの男も、同じように送り出された。

だが、この男が再び帰ってくることは、なかった。



なだらかな丘に建つ慰霊碑の前で、人々は悲しみに包まれている。
雲ひとつない青空の下、悲しみに涙する人々の中央では、鮮やかな鳳凰に包まれた女性が真っ直ぐ、前を向いていた。
涙にその顔を曇らすこともなく、花嫁衣裳に身を包んだ彼女は、ただ一心に、慰霊碑に刻まれた真新しい名前を見つめていた。

険しい表情をする両親の影に隠れ、はその様子を見ていた。
忍の里に生を受けた者として、幼いも知っていた。「慰霊碑に名が刻まれた」という、その意味を。
身近な人の死を、幼いはまだ、知らない。
だが、それはとても悲しく、寂しいものだと、ここに集まる人々を見れば理解できる。
この悲しい集まりに参加したの目を最初に引いたのは、黒い集団の中でただ唯一、真っ白な花嫁衣裳と、そこに飛ぶ鮮やかな鳳凰だった。
だが次の瞬間、は花嫁衣裳を纏う女性から目が離せなくなった。
幸せな祝言を目前にこの世を去った男を嘆く人々の中で、花嫁はただ堂々と、誇らしげに顔を上げていた。
凛とした表情と、真っ直ぐな瞳。
不謹慎かもしれないが、はそれを綺麗だと、そう思っていた。
人が亡くなったことは悲しい。それは、周囲の人々の表情を伺い見れば、解る。
それでも、この悲しみの中であの女性にあれほど美しい表情をさせているのも、また、人の死だ。

忍。
それは、とてつもなく悲しい生き方なのかもしれない。
それでも、の瞳に映った美しい花嫁は、忍という生き方を鮮やかに、そしてとても力強く、彼女の心に刻み込んだのだ。



「見て!額当て!私、忍になれたの!」
木の葉の印が刻み込まれた額当てを誇らしげに抱え、家に飛び込んできた娘に、母親は悲しげな笑みを漏らした。
父親や兄達もまた、それを表情には出さないものの、胸の中に抱える想いは同じだった。

幼い末娘が「忍になる」と言ったとき、当然のように家族の誰もが反対した。
だが、娘の決心は変わらず、アカデミーに入学したのは、二年前のことだ。
そうしてさらに二年、忍の厳しさを知り、その夢を諦めてくれることを、家族はひそかに願っていた。
だが、そうした家族の重いとは裏腹に、は優秀な忍候補生だった。
アカデミーから知らされる娘の成績はどれも素晴らしいものだった。
ついに額当てを得た娘は、とても誇らしげだ。
残念な気持ちも、悲しみもある。
だが、その額当てを手にするために、日々娘が努力していたことを知っている家族は、何も言えなかった。
忍になれたとは言っても、まだ下忍だ。危険な任務に就くこともないだろう。
それでも、優秀な娘のこと。中忍、特別上忍と、先へ進んでいくのは、そう遠い未来のことではないだろう。

悲しみは、ある。
それでも、夢に向かい、誇らしげに額当てを掲げる娘に、父親は己の願いを諦め、新たな願いを胸に刻んだ。
、その額当てはただの額当てじゃない」
父親の低く重い、真剣な声に、ははしゃいでいた心を引き締め、真っ直ぐと父親を見た。
「知ってる。この額当ては、この里の誇りだから」
真っ直ぐ自分を見つめ返す娘に、父親はどこか不思議な感覚を覚えていた。
幼い頃は、どこか自分を恐れ、いつも母親の後ろに隠れていた娘。その娘が今、真っ直ぐと自分と向かい合っている。
、今の想いを忘れてはいけない。忍になるということは、この里を護る使命を負ったということなのだから」


この娘の命は、今、私達、親の手を離れ、この里のものとなった。
私達が生きるこの場所を、私の娘が護っていくのだ。
誇らしく思おう。
例えどんな危険に晒されることとなっても、例え冷たくなった娘をこの腕に抱くこととなっても。
私の愛しい娘が、私の愛するこの地を護る。
それは、とてつもなく嬉しいことだと、この胸に刻みつけよう。

この地に住まう木の葉の守り神よ。
私は今、愛する娘を貴方の腕に委ねよう。
だから、どうか、私の願いを聞いて欲しい。
死地で生きようとするこの娘に、どうか貴方の御加護を。
毎日、私は貴方に祈りを捧げよう。どうか、その祈りを忘れないで欲しい。
血を浴び、死に泣き、傷を負うのが、この娘の人生だ。
だが、せめてその日々に、一筋の光を、刹那な幸せを…。








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