刺青 後編



「本当にいいんですかい?姐さん」
「構いません」

上着を脱ぎ、肩をさらけ出したの横には、熱せられたコテを持つ男がいる。
忍の証である額当てを火影に返上し、『たすきぼし』を開くことを決めたは、この場所に来ていた。
暗部に入るとき、その印を刻んだこの場所に。
「…上から新しい刺青を彫ることもできますぜ?」
「カタギの女は刺青なんかしないものだわ」
「刺青を焼くこともしないと思いやすがね」
「いいの。やってください」

「…行きやすよ。歯、食い縛っておくんなまし」
「……っ!」
歯の間に挟んだ布を咬み、右肩に感じる痛みに耐える。それはもう熱さを超え、ただの激痛でしかなかった。

軟膏が塗られ、包帯を巻かれた右肩は、一週間、ズキズキと痛んだ。
痛みがなくなる頃に残ったものは、自分で見ても顔を顰めるほどの、ひどい火傷の痕だった。

忍を辞めると決めた。
額当ても返したし、忍具も装束もすべて処分した。口寄せの契約をした者たちに別れを告げ、巻物も燃やした。
残ったのは、右肩に刻まれた刺青だけだった。
未練がましく残ったその印を見るたびに、いつも後悔と苦悩が頭を過ぎる。
『たすきぼし』という新しい生き方を決めたとき、すべてを捨てようと、は決心した。





忍を辞めて1年以上。
の身体に残る忍だった証は、忍を辞める原因となった左脚の大きな傷痕と、忍だった印を焼いた右肩の火傷痕。
そして、身体中に残る小さな、薄くなった傷痕と、硬くなった皮膚。
例え、他国の者の前で素肌を晒したとしても、よくよく調べられなければ、忍だったとばれることはないだろう。
ただ、傷痕がある、醜い女の素肌だと思われるだけだ。


傷のある身体を醜いとは、は思わない。
カカシの全身に残る戦果の痕も、左肩の刺青も、は誇らしく、愛おしく思うだけだ。
だが、それは、カカシだから、忍だから、男だから。

例えば、男が女を抱くとき、自分とは違う滑らかな肌に、男は魅せられるのではないだろうか。
柔らかな肌に愛情を感じるのではないだろうか。
触れたときに必ず判る凹凸のある傷痕や、変色したその肌に、男は何を思うのだろう。
忍ではない、ただの女の素肌から一生消えることのない醜い痕は、男の目を背けるためのものでしかないのではないだろうか。

自分の身体に残る忍であった痕を、憎らしく思ったことはない。
例え今は忍でなくとも、その残骸が残る自分の肌を、恨んだことなど一度としてない。

それでも、愛しい男の前に肌をさらすときだけ、その痕が消えてくれればいいと思うのは、いけないことなのだろうか。




後ろから抱きしめるカカシの吐息が肩に掛かるたび、は泣きたくなる。
自分以外にも、大勢の女を知っているカカシ。
その女の殆どは、あの女と同じように、傷一つない、美しい肌をしているのだろう。

「…私は、綺麗じゃない」
は綺麗だよ?」
「身体は傷だらけだし、脚にも肩にも…」
搾り出すように言ったに回されたカカシの手が、彼女の左脚に触れる。
「ここにあるのは、の誇りでしょ?」
ぎゅっと右肩を掴んだの左手に、カカシの唇が触れる。
「ここにあるのは、の決意」
左脚に触れたカカシの手から、右肩を掴む左手にあるカカシの唇から、温かいものが流れ込んでくるような気がする。
存在しないはずの痛みは消え、代わりに流れ込むのは、カカシの熱い想い。

「最高にかっこよくて、綺麗だよ。の傷痕は、俺の自慢なんだから」
「……」
「こんなイイ女、どこ探してもいないでショ。の裸が一番綺麗で、一番色っぽい」

そんなはずがないことは、本人が一番知っている。
100人いれば、99人が、あの女の方が綺麗で、色っぽいというだろう。
綺麗な肌に、大きな胸、くびれた腰、柔らかい身体。
それでも、100人いる、その残りのたった一人が自分だと、カカシは言う。
例え、それが本心でなくても、自分の傷痕を見てカカシが視線を逸らすようなことがあったとしても、その言葉だけで、は救われる気がした。


「…ごめんなさい」
「な〜に謝ってんの。謝るのは俺の方でショ?」
「あの時、何もなかったことは解ってるの。でも…」
「ま、俺も無用心だったよ。の香りだったから、ちょっと安心してたし」
「え?」
その言葉に思わず顔を上げたは、後ろにいるカカシを振り返った。
「匂い袋、カカシがあの人に贈ったんじゃ…」
「そんなことするわけないでショ。雪の国のものだから、なかなか手に入らないと思ったんだけどね〜」
「…匂い袋を貰ったっていうのも、合鍵を貰ったっていうのも、嘘?」
「合鍵はにしか渡してません。あの人は大家さんの娘」
「大家さん、の?」
カカシから告げられる真実に、は呆然とする。
「あそこはあまり使わないし、何もないからって、何の術も掛けてなかった俺が全部、悪いの。本当にゴメンナサイ」
完全に自分の方を向いたに、カカシは頭を下げる。

「浮気、してない?」
「してません。知ってた?俺の、ちゃんじゃなきゃ勃たないのヨ?」
「…それって、忍として駄目じゃない」
下げた頭から覗き込むように言ったカカシに、が微笑んだ。
衝撃的な自分の部屋での別れから初めて、の笑顔を見たカカシは、漸く帰ってきた気がした。

「…おなか空いたんだけど、何か食べさせてくれません?」
「茄子のお味噌汁と秋刀魚なら、すぐに用意できるわ」
例え鍵を変えていても、皿を投げつけてきても、自分の好物を用意していたに、カカシもにっこりと笑った。




薄暗い部屋の中、隣で眠るの右肩に、カカシは触れる。
そこにあるのは、痛々しいほどの火傷の痕。
ここに何があったのか、カカシは知っている。そしてそれは、今も自分の左肩にある。
想像を超える痛みだっただろう、と、カカシは思う。だが、それよりも刹那に感じるのは、それをしたの心だ。
左脚の傷痕も、右肩の火傷の痕も、身体に残るすべてが、の過去の誇りと決意だ。
それを醜いなどと思ったことは、一度としてない。

ほど大きな傷痕は、カカシにはない。目立つのは、左目の傷痕だけだ。それでも身体中に小さな傷痕はある。
が愛おしそうにその傷痕に触れるように、カカシもまた、の傷痕が愛おしい。
木の葉の忍としての誇りと決意の証だから。
例え今は忍ではなくても、それでもが自分の生き方に誇りを持っている、最高の女であることに変わりはない。

「あんな傷痕のある女!」
ふと、大家の娘が言った台詞が、カカシの脳裏に蘇る。

任務から帰り、の家へ来る前に、カカシはまず、大家の元へ行った。
事情を知った大家は平謝りしたが、娘はただ、不貞腐れていただけだった。
自分の大切な女を侮辱し始めた娘に、カカシは声を低くし、その娘の耳元で囁いた。
「忍の部屋に無断で入るなんて、殺されても知らないよ?」
カカシの忠告に娘は顔色を変え、それからは一切、口を開かなくなった。


まぁ、あそこも長いし、そろそろ変え時かもね。待機所に近くて便利だったんだけど。

「う…ん、カカシ…」
身体を動かし、カカシの胸元を探るの顔を見れば、まだ眠りの中にいることが判る。
無意識に、夢の中でも自分を求めてくるにカカシは嬉しそうに微笑み、その両腕でを抱いた。

嘗て刺青があったの右肩に、今も刺青があるカカシの左腕が重なる。

雲間から覗く月明かりは、嘗ての印を隠すように覆う、色鮮やかなその印を照らしていた。





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