刺青 前編



「…ちゃん、落ち着こうね?」
「私は落ち着いてるわよ?」

ヒュ、と投げられた皿は、カカシの残像が残るその場所で音を立てて割れた。
「…腕が落ちたかしら」
「ちょっと、今、本気で狙ってたでショ!」
「当たり前じゃない。当てるために投げてるんだもの」
にっこり笑い、新しい皿を手に持ったに、カカシは蒼くなる。
「ちょ、ちょっと、話を聞いてくれても…」
「あ〜ら、どんなお話?任務以外で、裸の女と抱き合う理由でも教えてくださるの?」
「抱き合ってなんかいなかったでしょーよ」
「そうね、押し倒されてたのよね。上忍が一般人に、ね!」
言葉を終えると同時にの手から放たれた皿は、一瞬の後、カカシの手の中にあった。

「前に言ったわよね?他の女を抱いた手で私に触れないで、って」
「だから、そんなんじゃないって」
「どうぞご自由に。でも二度と私の前に顔を見せないで」
大きな音を立てて閉められた戸に、カカシは深い溜息を吐き、その場に座り込んだ。





時は一週間ほど前に遡る。

自分の部屋で浅い眠りの中にいたカカシは、突然部屋の中に入ってきた気配に、神経を尖らせた。
だが、すぐに嗅ぎ慣れた香りに気付き、嬉しくなった。
任務中に見つけ、に贈った匂い袋。
店に出るときは身に付けないものの、それ以外のとき、はいつもその匂い袋を身に着けていた。
微かに香る花の匂い。
その香りの主がベッドに入ってきたときも、カカシは眠った振りを続けた。

何かがおかしかった。

よくよく考えれば、はカカシの睡眠中に襲うようなことは絶対にしないし、待機中に邪魔をすることもない。
気配も歩き方も違うような気がしたし、ベッドを沈ませたその重みも少し違う気がした。
忍び込んだ人物の手が自分に触れたとき、カカシは忍ばせていたクナイを、その人物の首元に当てた。



待機中のカカシに弁当を届けるだけのつもりだった。
人生色々にはいなかったし、そこにいた上忍が、「仮眠を取るために戻った」と教えてくれた。
邪魔をするつもりはなかった。
寝ているのなら、ただ、弁当だけを置いて帰ろうと、は思っていた。
だが、部屋の前まで来たとき、中に感じたのは2人分の気配だった。

1人はカカシのもの。なら、もう1人は誰?

部屋の扉を開けたが見たものは、ベッドに横になるカカシと、その上にいる裸の女性だった。


「あら、やだ。見つかっちゃった」
敵ではないことを確認したカカシが、そのクナイを下ろした途端、その女はカカシに跨ったまま、後ろを振り返り、笑った。
が来たことに、カカシはもちろん気が付いていた。
だが、それと同時に、窓の外に来た召集の知らせにも気が付いていた。
「…何でもないから。、後で話そう」
それだけを言い、カカシはその場から姿を消した。
召集が来ていたことに気が付いていたも、カカシを引きとめようとはしなかった。

「こんにちは、さん」
「どなたか存じ上げませんけど、初めまして」
何も見に着けない肌を隠しもせず、得意そうに微笑んだその女が身に纏う香りが、自分と同じものであることに、は気が付いていた。

カカシはそのまま任務となり、その後、2人の女性の間にどんな遣り取りがあったかは知らない。
だが、任務から帰ってきたカカシを出迎えたのは、既に変えられたの家の鍵と、皿の応酬だった。




…」
後ろから抱きしめてきたカカシに、は顔を膝に埋めたまま、動かない。
「顔も見たくないわ」
「うん。だからこうしてれば見えないでショ?」
確かにカカシの顔は見えない。だが、優しく回されたカカシの腕は、の心を悲しみに変えていってしまう。
「彼女とは、本当になぁんにもないヨ?」
「……」
いくらカカシをなじろうと、少なくともあの時、カカシとあの裸の女性との間に何もなかったことは、も解っている。
任務待機中に女性との密事に耽るような忍ではないことは、も知っているのだから。
それでも、カカシに当たるのを止められないのは、の脳中に渦巻く、あの女の言葉のせいだ。

「…こんな女より、あの人のところへ行っていいのよ?」
「行くわけないでショ。俺はしか見てないんだから」
「…綺麗な身体だったわ」
「誰が?」
「……」
両脚を抱え、肩を抱いているの腕に力が入る。
もう痛まないはずの左脚と、右肩が、何故かものすごく痛い。




「大きな傷があるんですってね。どうせその脚だけじゃなくて、他も傷だらけなんでしょ?」
さらしに巻かれたの足首を見ながら、女は嘲り笑った。
「ここにも傷跡があるし?」
着物の合わせ目から見える、薄い傷跡に触れ、にっこりと笑った女は、そのまま服を着始めた。
「傷だらけの女なんて、抱いて楽しいと思う?そうなっちゃ女もお終いよね」
派手な服を着ていくその女の素肌は、美しかった。傷など何一つなく、まるで絹のように滑らかだった。
肌に触れた服が、さらさらと音を立てそうなほど、まっさらな、綺麗な肌だった。

は思わず、自分の右肩を掴んだ。
着物に隠れたその場所には、醜い火傷の痕がある。
一見、大きな傷痕は左脚と右肩だけだが、それでも消え切らない小さな傷痕は、女が触れた首筋にも、胸のすぐ上にもある。
それだけではない。足裏は硬くなっているし、両手にも忍具でできたタコ痕がある。膝も肘も、硬い。
目の前にいる女と自分は、何もかも違う。
忍だったときは何も気にならなかった。修行と任務の成果であり、むしろ誇らしく思っていた。
だが、傷一つない、滑らかな肌の女といるカカシを見たとき、その誇りさえ、何の意味もないもののように思えてきた。

「ここなら邪魔が入らないって思ったんだけど、大失敗。今度は別の場所にするわ」
何も言わないを残し、その女はカカシの部屋を出て行った。
1人残った部屋に漂う香りが、自分のものなのか、あの女の残り香なのか。それさえもには解らなかった。







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