壱    持ち主を失った額当て





「決心は変わらんのかね?」
「三代目…、どうかお願いします」
彼の知っている彼女とは違う、絞り出すような声に三代目火影は机の上を見た。
そこには、その持ち主を失った狐面と額当てがある。

「……今までご苦労じゃった」

「お世話になりました」
一歩下がったは、丁寧に頭を下げ、その部屋を後にした。



10歳で忍の証である額当てを受け取り、それから10年、忍という世界に生きてきた。
その殆どを狐面に隠した彼女だからこそ、こんなわがままが通ったのかもしれない。

事務として、アカデミーで教師として、病院で医療忍者として、第一線ではなく後方支援として、裏方で、という話もあった。
だがその全てをは断った。
「武器を持って戦うことだけが、忍ではないぞ」
三代目にはそう言われた。
それでもが選んだのは、忍を辞める、という道だった。
素顔を曝して任務をしたことなど、下忍のときか、その後は数えるほどしかない。
だからこその選択だった。



!」

敷地を出ようというところで、後ろから声を掛けられた。よく知った声だ。

「忍辞めるって、本当に?」
「本当。今、三代目に挨拶してきたところ」

「本気?」
自分に合わせてゆっくり歩く人物に、は微笑み、頷いた。


装束に隠れ、それを確認することはできないが、の右脚は晒し布で覆われている。
太腿の中頃から足首まで続くその布の中には、未だ生々しい大きな傷痕がある。
一時は右足を失うのではないかと危惧された。

それでもこうして、杖も使わずに歩けるようになったのだから、幸運だったのかもしれない。
しかし、に残されたのは傷痕だけではなかった。
ここまで来るのに3ヶ月以上かかった。そして、今後もこれ以上は望めない。


僅かに右足を引き摺るように、ゆっくり歩く。これが限界だ。右脚だけで立つことも、走ることもできない。
無理矢理にでも右脚にチャクラを注ぎ込めば、どうにかできるかもしれない。
だが、一度壊れた経絡にチャクラを流し込めば、その後、は一生、脚を動かすことができなくなるかもしれない。
それだけではなく、他の部分に負担がかかり、何が起こるか判らない。


これが限界だ。

忍として生きることは、もうできない。否、忍として第一線で戦うことは、もうできないのだ。



「…そっか。ま、が決めたんなら、俺は何も言わないよ」

戦えずとも、それこそ後方の、戦わない忍として生きる道も、確かにあった。
だが、それを選ばなかった今、は妙にすっきりしている。
確かに、哀愁と未練は残る。
それでも、あの怪我を負ったときから、こうなることは決まっていたのかもしれない。

「これからどうするの?」
「考え中。貯えはあるし、ゆっくり考えるわ」
任務をして手にした高額の報酬は、殆ど使っていない。当分はゆっくりしよう、とは考えた。

今までが忙しすぎたのだ。
休日は修行に明け暮れ、それ以外の日は任務か待機だ。常に気を張っていたような気がする。
何かに追われるように、神経を張り詰めて過ごす必要も、もう、ないのだから。

「じゃ、ゆっくりデートできるね?」

「…はい?」

「だって休みをあわせる必要もないし、その休みを修行で潰すこともないでショ?」
「……」

彼の言葉に過去を振り返ってみるが、一度としてデートなどというものをしたことがあっただろうか。
それ以前に、デートをするような関係だった覚えも、にはない。
「どうしてデートをする必要があるの?」
「やだなぁ、ちゃんったら。照れちゃってv」

「……」

別に照れているわけではないのだが、は無視することに決めた。
この男の軽口に付き合っていたら、すぐに一日が終わってしまう。

額当てと口布の間から見える片目だけで、その笑みを現す男を無視し、は歩みを進めた。




はたけカカシ。

この木の葉隠れの里、随一の忍だ。天才忍者、写輪眼のカカシ、コピー忍者、その通り名は諸外国まで知られるほどだ。
一見軽そうで、その手に18禁の愛読書を持つ彼は、その普段の雰囲気から想像も付かないほどの実力者だ。
それは、も良く知っている。

が彼と初めて会ったとき、お互いにその素顔も、名前も知らなかった。
狐面を被り、字(あざな)で呼び合う関係のまま、多くの死線を一緒に潜り抜けた。
背を合わせて戦ったことも、お互いの命を預けあったこともある。
カカシが暗部を抜けてから、初めて、お互いの名を教え合い、その素顔を曝し合った。
最も、素顔と言っても、カカシの顔は額当てと口布に覆われ、その大半を隠してはいたが。

額当てと口布に隠された素顔を初めて見たのは、いつのことだったろう。
名前を知るよりも、素顔を知るよりも先に、は彼の素肌を知っていた。
13歳にして暗部入り、という経歴を持つが、16になったときだった。

イロの修行を始める前に、彼と寝たのだ。

別に恋愛感情があったわけではない。ただ、修行で「初めて」を知るのは嫌だったとき、たまたまそこにいた。それだけのことだ。
それからも何度か、身体を重ねた。お互いの意思がたまたま合ったときにだけ。
悲しみ、空虚、劣情、怒り、欲望…、そこに存在した感情は様々だが、愛情があった覚えは、にはない。

それでも初めて素顔を見たのは、そんな情事の最中だったような気がする。





アパートに着き、既に荷物が何もないその部屋を出た後も、カカシはについて来た。

「…カカシ、どこまでついて来るつもりなの?」
「もちろん、の新しい家まで」
にっこり笑って楽しそうに言うカカシに、は呆れてしまう。
「どうして新しい住処をカカシに教えなきゃいけないの?」
「今更でショ。あ、それとも一緒に住む?」

「……」

全く理解できない。



何を言っても無駄な気がしたは、一緒に歩くカカシを無視し、そのまま新しい家まで歩くのだった。





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