参    たすきぼし 





三代目に挨拶をしてから、もう3ヶ月になる。
は今、店の開店準備に追われていた。

繁華街の隅にある、小さな店を買った。
年老いた店主が閉めたその店は、半年以上も放置されっぱなしだった。
埃を払い、新しい家具を入れ、調理器具や食器を揃えた。
気の利いた酒屋と話をつけ、いい酒を卸してもらう手筈も整えた。

家族を亡くしたとき、崩壊した家の中から見つけた、桐の箱を引っ張り出した。
その中には、刺繍を生業としていた家族の思い出が詰まっている。
定期的に虫干しや手入れはしていたため、そこに詰められていた布も、針や糸も、綺麗なままだった。
懐かしさに浸りながら、座布団を作り、暖簾を作った。
父や兄達が施した刺繍は、適当な大きさに縫い上げ、テーブルクロス代わりにすることにした。


今、は、暖簾の隅に、針を通している。

幼い頃から身近だった、遊び道具のようにいつも持っていた、針と糸。
新しく買ってきた糸と、古くから残る糸、それらを掛け合わせて、布へ針を通していく。



「…できた」

広げた布には、『たすきぼし』の文字と、赤い羽。萌黄色の布に、金糸の混ざったその絵柄がよく映えている。
「父様や兄様達みたいにはいかないけど」
真剣に刺繍職人としての修行をしたわけではない。
それでも、幼い頃から父や兄達に教えてもらっていたそれは、今でもの指を動かしている。
長い時間をかけ、何度もやり直し、どうにか納得できるものが仕上がった。
完成した暖簾を、湯を沸かした蒸気に翳し、綺麗に皺を伸ばす。
長い棒にそれを通せば、立派な暖簾に見える。


たすきぼし


生家の四方に祭り飾られていた、四神の刺繍。はその中でも、南方の赤い鳥が一番好きだった。
それが『朱雀』と言い、伝説上の鳳凰という生き物だと教えてくれたのは、母だった。
その翼が翼宿(たすきぼし)だと知ったのは、家族を失った後のことだ。

朱雀はその翼で、厄災を払い、福を招くという。

戦う術を失った自分にできる、せめてもの祈り。
そんな思いを込め、は店の名を『たすきぼし』と決めた。
四神や朱雀などという、大それたことは、戦えないには言えない。


は、自分が縫い上げた赤と金の羽根を撫でる。
朱雀になることも、その翼の一部になることも、今の私にはできない。
それでも、たった一枚の羽根でもいい。その羽根に触れていたい。



ぎりぎりに出来上がった暖簾を店の中へ立てかけ、は厨房へと入る。
野菜を洗い、鍋を火に掛ける。鰹節を取り出し、削れば、いい香りが店中に広がる。
時刻も午の刻に入った。申の一刻になれば、店を開ける時間だ。
開店初日には、世話になった人達を招待してある。
その知人達が全て忍だということに、自分のそれまでの生活を思い、は苦笑いをこぼした。




店の前に灯りを入れ、暖簾を掛けようとして、は思った。
「届くかしら?」
左足に体重を掛け、重みのある暖簾を掛けようとして、ぐらつく。
バランスを失い、力のない右側に倒れそうになったところで、後ろに近付く気配に気がついた。
それで余計に気が逸れたのかもしれない。

ぐらっ、と右側に傾き、そのまま地面が近付くことを予想した。

だが、倒れたのは地面ではなく、先程感じた気配の持ち主だった。


「危ないなぁ。大丈夫?」

「…ありがとう」
力強い腕から抜け出し、再び暖簾を掛けようとしたの手からそれは奪われ、彼がひょい、っと、簡単に掛けてしまった。
その姿を見て、は踏み台を用意しよう、と決めた。


「まだ早いわ」
「知ってる。でも、一番に来たかったしね」
遅刻常習者の彼が、約束の時間前に来たことに、は驚いていた。
まだ誰もいない店の中で、2人きりだということが、妙に気恥ずかしい。
「よく似合ってるね」
「え?」
の姿を見ながら、楽しそうに笑う彼は、何故か嬉しそうだ。
「ちゃんとした着物姿、見るの初めてかもね」
そう言えばそうかもしれない、とも自分の姿を見た。

紬の決して派手な柄ではないが、きちんと肌襦袢を着、帯を締めている。
忍を辞めてから着るようになった和服だが、彼の前ではいつも、浴衣か、動きやすい洋装の部屋着だった。
こうしてきちっと和服に身を包み、髪を結い上げた姿を見せたのは、初めてかもしれない。



暫く後、店は知人達でいっぱいになった。
暗部ばかりで動いていたの、数少ない知人。

「どうぞ、三代目様」
豊かな髭を蓄えた優しい瞳の老人に、はお銚子を傾ける。
「まさか小料理屋をやるとはのぅ」
「そんな立派なものではありませんわ。ただの呑み屋です」
クイッと杯を空にした三代目に、は新しい酒を注ぐ。

「しっかし、に料理の才能があったとは、知らなかったぜ」
煙草を吸いながら、根菜の煮物をつつく髭面の男の言葉に、店中の者が頷く。
根菜の煮物、五目散らし寿司、魚の煮付け、牛肉の竜田揚げ、大根と豚の角煮、ほうれん草とシメジのお浸し、切り干し大根。
どれも決して豪華な料理ではないが、その味には皆、喉を呻らせる。
〆の段階になって出された焼き飯の味噌茶漬けも、アサリの澄まし汁も、皆、残さずに食べたくらいだ。



「ご贔屓にしてくださいね」
酔い潰れた仲間を引き摺っていく背中や千鳥足の背中、すぐに姿を消した背中などを、は見送った。


門戸の灯りを消し、中へ入ると、今まで賑やかだったその場所がしん、と静まり返っている。

「さて…、と」

袖を捲くり、は片付けにかかる。散乱した酒瓶や箸、お猪口なんかを丁寧に片して行く。
彼らの食べる量も飲む量も、ある程度知ってはいたつもりだったが、想像以上だった。
用意していた料理はなくなり、手早く作れるものをすぐに追加した。酒も奥の棚から持ってこなければならなかった。
そんな片づけをしているときに、ふと、カウンターに見慣れない風呂敷包みがあることに気がつく。



忘れ物かしら?

忍が忘れ物、など有り得ないのだが、それでも任務ではないのだから、とその包みを開けてみると、桐の箱だった。
何も書かれていないその箱を開けると、若草色の湯飲み茶碗と、【ご祝儀】と書かれた封筒が入っていた。
「いつの間に…」
おそらく帰る際、三代目が置いていったのだろう。そのご祝儀の文字は、見慣れた字だった。
綺麗な若葉のような色合いの湯飲み茶碗をは手に取ってみる。何も書かれていない、若草色に塗られた茶碗。
その茶碗をぐるりと回していて、は妙なことに気がついた。
何の絵柄もないはずのその内側に、ほんの微かだが、凹凸があるのだ。
始めはただの凹凸だと思ったが、その小さな凹凸を指でなぞるうちに、それが何なのか、理解した。

「木の葉…」

おそらく、一般人では気が付かない。業を積んだ者にだけ判る、小さな、微かな印。
3ヶ月前、三代目の所へ置いてきた、あの額当てにも同じものがあった。木の葉隠れの里の者である、印。
別に特別なものではない。木の葉隠れの里に住む者なら、誰でも自由に使うことのできる印。
それでも、その印を、忍にしか判らないように印した三代目の心に、は胸が熱くなった。
この木の葉に誇りを懸け、命を懸けてきた。
既には忍ではないし、おそらくその記録も、表からは抹消されていることだろう。
それでも新しい道を歩き始めたこの日に、この印を贈ってくれた三代目の気持ちが、には嬉しかった。

「里の者は、皆、家族じゃ」
アカデミーの頃、そう言っていた三代目を思い出す。


祝儀袋の中には、分厚い紙幣束が入っていた。
その多さに驚くものの、一緒に入っていた連名書に書かれた名前を見て、顔が綻ぶ。
三代目火影・猿飛を始めとし、今日店を訪れた者や、任務で来ることができなかった者、暗部々隊長の名まである。



忍を辞める、ということは、即ち負けること、逃げることだ。

慰霊碑に名を刻むことが栄誉ではないが、それでも生きて、若くして忍を辞めた者に、決して栄誉は与えられない。
それなのに、こんなにも多くの人間が自分の「敗逃」を祝ってくれることに、この里の優しさを感じた気がした。


「ありがとうございます」

誰もいないその場所で、小さな桐箱と祝儀の袋に、は丁寧に頭を下げた。








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