夏
照りつける太陽が、こんな早い時間なのにきつい。
テニスコートの中で朝練に励む部員たちは、朝からすでに疲れていた。
「はい、これ。本当は昨日までなんだからね」
「スマン…」
少しずつ生徒達が登校し始めた時間、は男子テニス部の朝練に顔を出していた。
その理由は、見学するためでも、応援するためでもない。
ただ単に、提出物をなくしたクラスメートに、新しい用紙を届けに来ただけのことだ。
自分よりずっと大きな彼が小さくなっているのを見ると、許してあげよう、という気になってしまう。
青春学園高等部に入学して早、3ヶ月。
学校生活にも慣れ、新しい友達もできた。それなりに、楽しい毎日だ。
学級委員を務めるは、担任に言われた提出物の回収に苦労していた。
些か面倒なのは、確かだ。
それでも、こんな雑用を引き受けることで、クラスに馴染んでいっているのも、また事実だ。
「提出はあさってまでね。今度は無くさないでね」
「あぁ」
しっかりと頷いたクラスメートを信じ、はテニスコートを後にする。
ああ!もう、嫌になる。
すれ違う知り合いと朝の挨拶を交わしながら、は教室とは反対の方向へと足を進める。
こんなグチャグチャした気持ちのまま、授業を受けるなんてしたくない。
まだ、朝のHRまでには時間がある。
彼女は長い階段をゆっくりと昇り、誰もいないことを確かめてからは、一気に駆け上がった。
少し重い扉を開ければ、そこに広がるのは、雲ひとつない青空。
この朝早い時間、わざわざ屋上へ来る人間は少ない。自分の気持ちを落ち着かせるのには、絶好の場所だ。
フェンスに寄りかかり、下を見れば、コートを片付けている男子テニス部員達が目に入る。
「もう!」
カシャンと音を立て、フェンスが揺れた。
朝、わざわざ早起きをして、提出物のコピーをクラスメートに届けた。
学級委員として、回収係として、当たり前のことかもしれない。
別に教室で渡しても良かったのだ。
それなのに、わざわざ部活中のクラスメートに届けたのは、親切心でも責任感でもない。
ただ、自分がそうしたかったのだ。
テニスコートが見えた途端、クラスメートよりも先に、彼を探していた。
テニスコートが近付いた途端、必死に彼を見ないようにした。
はっきり決めたじゃない。忘れるって…。
なのに、目が、耳が、全身が彼を探すのを、未だにやめられない。
新しい制服に溜息をつかれたあの日から、周助とはひとことも口を聞いていない。
入学式の日にきた、訳の解らないお説教のメールは、無視した。
そのあとも、思いっきり彼を避けている。
別に難しいことじゃない。
学年は違うし、毎日部活に励む周助とは、会おうとしなければ、会うことはない。
例え、隣に住んでいても、だ。
違う学校に通っていた3年間がそうだったのだ。別に、不思議なことでも、特別なことでもないのだ。
オマケには、わざと、周助に会わないようにしている。
同じ学校に通っていて、お隣で…。
それでも、会おうとしなければ、話そうとしなければ、そうしないことなんて、難しくもなんともない。
諦めるって、決めたじゃない。忘れるんでしょ?
何度自分にそう言い聞かせても、一度知ってしまった想いは、そう簡単に消えてくれない。
教室で、男子テニス部の話題が出るたびに、耳を傾けてしまう。
窓から覗く校庭に、彼の姿を探してしまう。
学校を出るとき、テニスコートの方を向いてしまう。
そんな無意識の行動が、を悩ませる。
バカバカしい片思いだ。
彼は私のことを、「迷惑な幼馴染み」「ワガママな妹」程度にしか思っていないのだから。
テニスコートの隅で、の声が聞こえる。
僕の部活の後輩と話す声が。
ただのクラスメートだ。ただ、同じ教室で過ごしているというだけの関係。
そんな2人をじっと見ている不二は、何故か心の中が曇っていくのに気付いていない。
彼女がここに来た理由が、自分の後輩に会いにきただけだ、ということが、
微笑みかけて、気にかける相手が、自分ではないということが、何故こんなにも気になるのか。
は幼馴染みで、ずっと不二の後をついてきていた。
ワガママを言って困らせて、自分勝手に怒って「大嫌い」は、いつものこと。
意地っ張りなくせに、寂しがり屋で、泣き虫で。気が強くて、オテンバで、いつも走り回っていた。
そんな自分勝手なを、お隣の3兄弟は本当の妹のようにかわいがっていた。
振り回されてばかりいるのに、嫌いにはなれない。憎むことなどできない。
素直に甘えてくるその姿は、それまでのことを忘れてしまうくらいかわいくて、護ってやりたくなってしまう。
「周ちゃんなんて、大嫌い!」
そう言って、部屋を飛び出したあの日から、不二は彼女とひとことも口を聞いていない。
最初のうちは、まだ怒っているのかと、いつも通りにワガママなに、何も気にしなかった。
だが、それが1週間になり、1ヶ月になり、ついには、もう3ヶ月を過ぎてしまった。
入学式の日に送ったメールの返事は来なかった。
その後送ったメールも、電話も、ことごとく無視されている。
偶然、ばったり、会うこともない。お隣に住んでいるというのに、だ。
が自分を避けていることくらい、不二も気が付いている。
それでも、どうせ今回も、またすぐに自分に寄ってきて、甘えて、ワガママを言って困らせるのだろう。
そんなふうに考え、既に3ヶ月だ。
不二もいい加減、頭にきていた。そこまで怒る理由が、不二には全く思い当たらない。
確かに、入学を喜んであげなかったのも、制服を褒めてあげなかったのも、少しは、悪いと思う。
それでも、自分に何もかも内緒にして、勝手に青学入学を決めたの方が悪いのだ。
彼女のもう、高校生だ。いつまでも甘やかしちゃいけない。
そう考える不二は、わざわざ自分から折れるつもりは、全くなかった。
それにしても、ムカつくよね。
僕のことは3ヶ月も無視してるくせに、3か月前に知り合ったばかりの男に親切にするなんて。
テニスコートから去るの後姿を、不二は目を細めて眺めていた。
夏休みの試合会場は、人で溢れている。全国を目指す人達と、それを応援する人達。
そんな中で、一体何をしたらいいのか分からない彼女は、何故ここにいるのだろう?
「やっぱり私って、バカみたい…」
誰にも聞こえないような小さな声で呟いたは、そのまま木の根元に座り込んだ。
全国を目指す人々で溢れかえる試合会場。
そんな中では応援するわけでもなく、もちろん、参加するわけでもない。
何となく、本当に何となく、ここへ来てしまった。
一体いつからだろう?テニスに夢中になっている彼を、素直に応援できなくなってしまったのは。
初めは黄色いボールを必死に追いかけている彼を見るのが、大好きだった。
なのに、いつからか、その姿を見るたびに、何故か叫びだしたくなる。
由美子が自分の能力で活躍していくのは、素直にすごいと、嬉しいと感じる。
裕太だって同じテニスをしているのに、それは素直に応援できる。頑張れって。
なのに、それが周助となると、全く別の話になる。
それは、多分、周助が由美子ではなく、周助が裕太ではないからだ。
の中で、周助だけが、特別なのだ。
「もう、やだ…」
歓声に沸く会場内で、膝に顔を埋めるは、自分だけが孤独な気がした。
裕太は試合に出ない。周助を素直に応援することはできない。
それなのにここへ来てしまう自分は、どうしようもなく惨めで、バカみたいだ。
いつになったら、諦められるの?
いつになったら、忘れられるの?
いつになったら、この想いを思い出にできるの?