11月



「あまり調子に乗らないでくれる?」
睨みつけるその人物を前に、は、「ならどうしろと言うのだ」と問いたかった。

貴重な休日にわざわざ呼び出されたかと思ったら、そこに待っていたのは、呼び出した人物ではなく、彼女だった。
「景吾は私の、なの。あんたなんか相手にするわけないでしょ。勘違いしないでね」
「別に勘違いなんかしてないけど。あなたのものなら、しっかり捕まえてればいいんじゃないの?亜樹さん」

バシンッ

叩かれた頬に手を当て、その痛みをもたらした人物を睨むが、彼女、柴田亜樹は得意そうに厭らしい笑みを浮かべているだけだ。
「あんたなんかお情けでお父様に面倒見てもらってるくせに、いい気になってんじゃないわよ」
「…あなたが言ったんでしょ。テニス部のマネージャーになれ、って」
「雑用だけしてればいいの、あんたは。景吾と仲良くなる必要なんてないの」
「どこが仲良くしてるって言うのよ。ほとんど話もしてないじゃない」
「知ってるんだから!電話してるくせに!」
「……」
「これ以上景吾にちょっかい出したら、お父様に言って生活費止めてもらうからね!」

別には、亜樹が怖いわけでも、脅威なわけでもない。
問題なのは、彼女ではなく、彼女が言う「お父様」なのだ。
を今日、ここに呼び出したのも、の生活を握っているのも、が脅威に感じるのも、「お父様」だ。
彼の言うことに、は逆らえないのだから。



追い出されるようにして出たその家が見えなくなった途端、は自分の携帯電話を取り出した。
一番上にある着暦を押し、その相手が出るのを待つ。


「珍しいな。お前の方からかけてくるなんて」
「私に電話してること、誰かに話した?」
「ア?何だ、いきなり…」
「いいから答えて!」
道の往来で人目があることも気にせず、は電話に向かって叫んでいた。
「…誰にも話してねぇよ」
「本当に?」
「わざわざ話すことじゃねぇだろ。女共に知れたら害が及ぶのはお前だからな」
「……」
一応、きちんと考えていたようだ。学校で話しかけないのも、彼なりに気を遣っていたのだ。
その事実を確信したは、それでも跡部と交流があることを知っていた亜樹に疑問を持った。

ならどうして、彼女は知ってたの?

?何かあったのか?」
「…ごめんなさい。もう電話してこないで。用事があるなら、部活中に聞くから」
「おい!何言って…」
跡部の言葉を最後まで聞かず、は電話を切った。そしてすぐに、その番号を着信拒否に設定した。


跡部は「誰にも話していない」と言っていた。彼がそう言うのなら、それは本当なのだろうと、にも解る。
そんなことで嘘をつく人間ではないし、嘘をつく理由もないのだから。
だがそれでも、彼女、柴田亜樹は知っていた。
どんな方法でそれを知ったかは定かではないが、電話を続ける以上、の生活費がなくなるのは、脅しではなく現実だろう。

今、仕送りを切られるわけにはいかないのだ。少なくても高校を卒業するまで、できれば20歳になるまでは。
働いて自活する道を考えたことがないわけではない。それでも、まだ今は、学校という場所に通っていたい。


跡部が嫌いなわけではない。
俺様で偉そうな奴でも、仲間思いなことも、必死で努力をしているからこその自信なことも知っている。
嫌いじゃない。
跡部の話は面白いし、興味を惹かれる。たった数分の就寝前の会話は、嫌な時間ではない。
それでも、これ以上つきあう気は、にはないのだ。


氷帝に通っているのも、男子テニス部のマネージャーになったのも、の意思ではない。
そこに亜樹の思惑が存在していようと、別には亜樹の言いなりになったわけでもない。
すべては生活のためだ。
氷帝に通うのが、生活費を出す条件だった。
テニス部のマネージャーになったのは、その生活費を増やすためだった。
氷帝に通っているのも、マネージャーをしているのも、すべて亜樹が「お父様」と呼ぶ人物の命令だからだ。

大事な娘が頼めば、彼は深く考えもせず、の生活費を止めるだろう。
例えが何を言ったとしても、だ。
いくら奨学金があったとしても、高校生活に掛かるすべての費用が免除されているわけではない。
アパート代や生活費が出るわけでもない。
高校は義務教育ではない。彼に「辞めろ」「働け」と言われてしまえば、にはそうするしかないのだ。


には夢がある。
誰にも束縛されない、何の強制も受けない、何を我慢する必要もない、そんな生活を送ることだ。
誰かの目や機嫌を気にすることもなく、自分の好きなことを、自分の好きなようにしたい。

今はまだ遠い夢。
でもその夢を叶えるために、今はまだ、鎖で繋がれていなくてはいけないのだ。



はそれから、跡部を無視し続けた。
もともと接点など殆どない。部活中でさえ、跡部が直接、に用事があることなど、滅多にないのだ。
練習開始ぎりぎりに部活へ行き、はずっとテニスコートには近寄らない。
練習が終われば、跡部が着替えている間に早々と帰り、顔すらも合わせないようにした。
廊下ですれ違うときも、視線を向けてくる跡部から故意に視線を逸らし、自分の意思を伝えた。

道の往来での、あの一方的な電話を最後に、と跡部は、ひとことも、言葉を交わしていない。







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