3月
「…お前、料理人にでもなるつもりかよ」
目の前にずらっと並んだのは、本格的なフレンチのフルコース。前菜にスープ、魚料理、肉料理、パンにサラダ、デザートまで。
コースとは違い、テーブルに一斉に並べられているが、それでもすごい量だ。
ランチを作るといって朝からキッチンに入り、昼になって並べられたのは、ランチと言うより、本格的なディナーだ。
「だって、本格的なフレンチって興味あったんだもの」
呆れている跡部の前で、は頬を膨らませる。
春休みに入り、跡部家に泊まっていたが「料理を教わりたい」と言い出し、跡部が家のシェフに頼んだ結果がこれだ。
朝食の後、シェフと共に厨房に入ったきり、はずっと出てこなかった。
放って置かれる状況に少しの不満はあったものの、の望みなら、と、跡部はそれも我慢してきた。
見た目は美味そうだし、は料理が下手なわけではないため、別にこれを食べることに不安はない。
それでも、ランチなのにこれだけ用意する必要はないと、跡部は思う。そうすれば、もっと2人の時間があったのだから。
納得がいかない跡部を他所に、は楽しそうだ。
料理人を目指しているわけではないが、それでも、材料費を気にせず、プロの料理人に教示を受けながら、広いキッチンで料理をするのは楽しかった。
安売りの食品や残り物を駆使し、2つしかない小さなコンロで料理をするのとは、わけが違う。
その過程にも、出来栄えにも、は満足していた。
「美味しい?」
前菜を口に運んだ跡部を不安げに見るに、跡部は「あぁ」と頷いた。
「良かった」
にっこりと笑うを見て、跡部も、まぁいいか、と自分を納得させた。
「もうおなかいっぱい…」
ソファーに倒れ込むに、やはり跡部は呆れてしまう。
自分よりパンを2個も多く食べ、デザートまでしっかり食べたのだから、当然だろう。
「食べすぎなんだよ」
隣に座った跡部が、の頭を小突く。
「だって美味しかったんだもん」
「自分で言ってんじゃねぇよ」
自分の膝に頭を乗せてきたの頬に、跡部は自分の手を当てた。
「あまり食べ過ぎると太るぞ。それでなくてもチョコばっか食いやがって」
「この家に来ると食べ過ぎちゃうの。跡部君と付き合うようになって、2キロ太ったんだから」
「…餌付けしてるみてぇだな」
週末に泊まりに来ることの多いに、跡部家のシェフも腕を振るう。
美味しいと笑うに跡部も嬉しくなるものの、確かに、よく食べるな、とも思うのだ。
まるで食事目当てにが家に来ているような気もして、少し面白くないのもまた、事実だ。
むに…
「ちょっと!」
突然脇腹の肉を掴んだ跡部に、が跳ね上がった。
「本当に2キロか?5キロくらい太ったんじゃねぇの?」
「2キロだけです!」
必死でそう言うが、跡部は可愛かった。
別に太ったなどと思ってはいない。を重たいなどと感じたことはないし、太っていると思ったこともない。
それでも顔を赤くして頬を膨らませるが面白く、跡部はさらにからかった。
「お前ポヨポヨしてるもんな」
「ポヨポヨって何!?」
「あぁ、プニプニか?プヨプヨとも言うな」
「やだ!私、そんなにひどい?」
真剣な顔で自分のウエストや腕の肉を触るが、跡部は本当に可笑しかった。
「…ダイエットしようかな」
ぼそっと呟いたの腰を掴み、跡部は自分の膝の上に持ち上げる。
「…重いよ?」
「重くねぇよ」
ウエストを掴んでいる跡部の手が気になるのか、は必死に降りようとするが、しっかりと支えられ、ただ身を捩るだけに終わった。
「ポヨポヨって言ったくせに」
「そうだな」
「プニプニでプヨプヨなんでしょ?」
降りようとするのを諦めたのか、泣きそうな顔で自分を見るの頬に、跡部はキスをした。
「お前はそのままでいいんだよ。柔らかくなきゃ俺がつまんねぇだろ」
「…胸が大きくて、ウエストがキュって細いのがいい」
「今さら胸はそんなにでかくなんねぇんじゃねぇの?」
小さくはないが、決して大きくもないの胸に触れた跡部の手を、はペシ、と叩いた。
「俺の手にぴったりなんだから、それでいいんだよ」
「…良くないと思う」
胸が大きい女が好きなわけではない。ガリガリに細い女も、筋肉で固い女も好みじゃない。
跡部が好きなのは、自分の手にちょうどいい大きさの胸と、膝の上に乗せたときにしっかりとその存在を感じられる重みのある女。
腕の中にすっぽりと納まり、キスをするときに屈まなくてはいけない女。触れると柔らかく、自分の手にその肌を染める女。
今まで女は、それなりならどうでも良かった跡部の、今の好みはそういう女だ。
指を通した髪の感触も、抱きしめた身体の大きさも、重ねた唇の柔らかさも、全部、決まっている。何が違っても、駄目なのだ。
「妙なダイエットや、変に鍛えたりすんじゃねぇぞ」
「……」
「すぐ判るんだからな」
のセーターの中に手を入れ、そのウエストを摘んだ。
は腕を突っ張り必死に逃げようとするが、しっかりと腰を掴んだ跡部は、そんなことはさせない。
「食後の運動だろ?」
「…食べた後すぐは、激しい運動しちゃいけないんだから」
「激しいのが好みならそうしてやるぜ?」
得意そうに笑った跡部の肩を、真っ赤な顔で叩いたは、数分後には跡部に運ばれ、ベッドの上にいた。
部活のせいで薄っすらとできた首の日焼けも、力仕事のせいで少し筋肉のついてきた腕も、すべて跡部の好みだ。
自分が抱き上げられないほど太るのは遠慮願いたいが、暴れても自分の腕の中に納められる程度ならいい。
胸の大きさも、ウエストの細さも、手足の長さも、はっきり言ってしまえば、どうでもいいのだ。
どうしても捨てがたいのは、自分の名を呼ぶこの声と、自分のすぐ近くにあるこの笑顔。
まだボーっとしているをバス・ルームに運び、乳白色の湯に一緒に浸かる。
グチャグチャに乱れた髪も、半分しか眉のないスッピンも、可愛くて仕方がない。
気だるそうに自分に凭れ掛かってくるこの女のすべてが、跡部は愛おしいのだ。
すぐに夢の中に陥りそうな意識の中で、は温かい湯と自分を支える男の存在に至福を感じていた。
彼に乱された髪と、汗と湯で落ちた薄い化粧、半分閉じかけている瞼。きっとひどい顔だと思う。
それでも大切な宝物のように扱ってくれる彼の手は、甘えていてもいいのだと言ってくれる。
何に魅かれたのかなんて、未だに解らない。
学校中の女の子達が憧れている存在で、亜樹が「私のもの」と言っている人。
もし彼女にバレたら、今の生活が無くなってしまうかもしれない。そんな危うい関係。
強引で自信満々で、でも優しくて、熱い、最高の男。
もしこの人を失ったら、それでも私は立っていられるのだろうか。
そんな不安を押し留め、は自分に触れる優しい手の幸福に、ゆったりと浸っていた。