4月
玄関を開ければすぐキッチンで、その小さなキッチンの後ろには脱衣所もない浴室、洗濯機置き場兼洗面所、トイレ。
奥にあるのは6畳のフローリング、小さなクローゼット付。
これが私の、新しい住処。
昔の家とは全然違うけど、今まで住んでいたところよりは、断然いい。
昔の家は、広くて、何よりも温かかった。
今まで住んでいたところは、広いけど、冷たかった。
ここは、温かくも冷たくもない。でも自由だ。それだけで、いい。
白いブレザーなんて、汚れの目立ちそうな制服、一体誰が考えたんだろう。
広い講堂の中は、人で埋め尽くされている。
上級生に教師、保護者。そしてこの式の主役である、新入生達。
その主役の1人であるはずの少女は、白いブレザーの集団の中でそんなことを思っていた。
壇上では、やはり主役である同じ新入生の代表が挨拶をしていた。
「……で、栄えある氷帝の名に恥じない生徒になることを誓います。新入生代表、跡部景吾」
新入生代表が一歩下がり、頭を下げれば、割れんばかりの拍手喝采。
…やっぱり、「同じ」じゃないか。まるっきり別世界の人って感じ。
歓声の中、堂々と壇上を降りてくる新入生代表を見て、彼女は、同じ新入生でありながら、どこか別世界のことのような気がしていた。
『私立氷帝学園高等部 第××回 入学式々典』
そんな大層な銘のついた式を終え、教室へと入っても、やはり彼女には、別世界のように感じた。
同じ真新しい制服に身を包んだ集団の中で、彼女は、自分だけが異質な気がしていた。
高校生活、1年生、新入生、入学式…、なんて希望に溢れた言葉。
教室中に漂うのも、希望、期待、夢。そこにある不安なんて、それより大きなものに飲み込まれてしまう。
そんな中でも彼女の中にあるのは、ただの虚無。
希望も夢もない、不安さえない、ただの無感情。
この高校生活に何の期待もしていなければ、何の夢も抱いていない。
彼女が望むのは、ただ平穏無事に、何事もなく、これから始まる3年間を終えること。
新しい友達は、まぁ、できればそれでもいい。
楽しい高校生活は、全く期待していない。変化に富むことは、望んでいない。
目立たず、地味に。それが彼女の第一目標だ。
規定どおりのスカート丈に、紺のハイソックス。カールもカラーリングも何もしていない、ただ黒いだけの髪。
眉を整え、無色のリップだけをしたメイクの顔が向くのは、賑わう教室の中ではなく、窓の外。
彼女の格好からも態度からも、彼女が望む高校生活が現れていた。
結局その日、彼女がした交流は簡単な挨拶と、どうでもいい世間話。
携帯電話の番号も、メルアドも、彼女のアドレスは一件も増えていない。
狭いワンルームで制服を脱ぎ、彼女が開くのは、段ボール箱に詰められた教科書だ。
入学前に郵送られてきたまま、そのまま段ボール箱が本棚代わりになっている。
氷帝に通うのは、勉強をするため。それだけだ。
他の場所でなら、別の目的もあったかもしれない。だけど、彼女にとって氷帝に通うというのは、そういうことだった。
辞書を片手に古典の教科書を開いていたときだ。ベッドに放り出したままの携帯電話がなったのは。
着信を見て、彼女は眉を顰める。
この相手から連絡が来て、いいことだった例がない。
その部屋の中には、彼女以外誰も居ないというのに、誰にでも判るほどの大きな溜息を吐いて、彼女はボタンを押す。
「…はい、もしもし?」
相手の声を聞いて眉を顰めた彼女は、その内容を聞いてさらに眉間の皺を増やした。
2週間後、部活動仮入部の時期になったテニスコートは、大勢の女生徒で溢れている。
男子テニス部だというのに、何故、男子と同じくらい、女子入部希望者がいるのか。
そんな彼女の疑問は、すぐに晴れることになる。
3年の部長とマネージャーの1人、そして仮入部期間だというのに部長の横に立っている人物を見て、彼女は「あぁ」と納得した。
並んでいた女生徒達がざわめき出し、瞳がキラキラと輝きだす。
説明する部長の話に注目するわけでなく、周囲の大半の視線は、その隣に立つ同じ1年生へと向けられている。
テニス部マネージャー、候補者34人。
仮入部期間の働きを見て、最終的に5人程度が選ばれる。
う…。
隣から漂ってくる香水と化粧の臭いに、彼女は顔を顰める。
バカバカしい。
それがこの仰々しい集まりに対する、彼女の感想だ。
テニス部マネージャー希望者34人中、そんなことを思っているのは、彼女1人だろう。
、15歳。
氷帝学園高等部の栄えある第1月目は、こうして始まりを迎えたのだ。