5月
「さん、部活、一緒に行きましょう」
同じテニス部マネージャー候補のクラスメイトに、彼女はひとことだけ返した。
「今日、バイトだから」
仮入部という名の試験期間、が部活に参加したのは半分ほどだ。
おそらく他の候補者達は、一日も休まずに参加しているのだろう。
だが、彼女には罪悪感も後悔もなかった。別にそれで落とされようと、どうでも良かったのだから。
。氷帝学園高等部の1年生であり、多くの女生徒が切望する男子テニス部のマネージャー希望者の1人だ。
だが、彼女はもちろん切望などしていないし、できれば御免被りたいと思っている。
それでもマネージャー希望者なのは、それがそうせざるを得ないからで、回避できないことだからだ。
別にマネージャーに採用されなくても、問題はない。
この仮入部期間という1ヶ月、バイト収入が減るのは痛いが、それで得た収入があるから、別にいい。
不本意でも、マネージャー業をすることで収入があるのなら、にとってこれは、バイトと同じだ。
洗濯、掃除、片付け。家事と一緒だ。ただ、その量は半端なく多かったが。
同じバイトなら、割が良い方を選ぶ。これは常識だ。
テニス部のマネージャー業より、今日のバイトの方が割が良かった。
がテニス部をサボったのは、ただそれだけの理由だ。
「真面目に参加していないようじゃないか。残れなかったらどうするつもりなんだ」
「その方が都合良いですけど」
「!」
電話口で怒鳴る相手に、は受話器を耳から離す。
別に残りたいわけでも、選ばれたいわけでもない。参加しているのは、それがこの人物に言われたから、だけだ。
「大体、放課後や休日まで削られるのに、あの報酬では生活できません」
「…解った。もし、残ったら、生活費をあと2万、増やしてやる」
「5万」
「……3万だ。これ以上は無理だ」
きっぱりとそういった電話の向こうの相手に、は了承を伝え、電話を切った。
仮入部に参加することで、2万。残ったら3万で、計5万円。
バイトに精を出した方が収入はいい気がするが、彼女はそれで納得した。
これ以上睨まれてしまっては、本当に生活できなくなってしまうからだ。
バイト先に断りの連絡を入れれば、店長は大して文句も言わず、快く納得してくれた。
「時間が空いたら、いつでも連絡して」とまで言って。
4月から始めて、バイト期間約1ヶ月強。はっきり言って、結構いいバイトだった。
時給+出来高、という収入の、出来高の部分にはかなり助かった。
手離すには惜しいバイトを辞め、はノートパソコンを開く。
検索、テニス。
「大体、ルールすらまともに知らないのよね」
画面に現れる文字を追いながら、呟いた。
明日は図書室に寄ってみようかな。真面目に残ること、考えないといけないし…。
約1ヶ月の仮入部期間を得て、残った男子テニス部マネージャーの中には、の姿もあった。
真面目に参加していなかった彼女が残ったことに、周囲の視線は痛いが、は気にも留めなかった。
いくら後半は真面目に参加していたとしても、自分が残った理由が、その頑張りではないことは解っている。
一緒に残った残りのマネージャーたちを見回し、は思った。この選択は、果たして正しかったのか、と。
あの人の機嫌を損ねない月5万円の収入アップと、機嫌を損ねても得るそれよりもいい収入。
果たしてどっちが良いのか、には解らない。
それでも選んでしまったのだから、後はやるしかないのだ。
大量の汗臭い洗濯物に囲まれ、彼女は思う。
成績は絶対落とせないし、それに加えてこの重労働。選択誤ったかも…。
大量の洗濯物に掃除、用具の手入れ、ドリンク作りにスコア整理、データー整理…。
覚えることもやることも山ほどある。
こんな完全裏方の面倒な仕事に、どうしてあんなにたくさんの希望者がいたのか、彼女には理解できない。
テニスコートのフェンス外で黄色い歓声を上げる女生徒も、理解に苦しむ。
確かに、何かに真剣に打ち込んでる姿、ってのは、ちょっとかっこいいけどね。
コートの中で小さな黄色いボールを必死で追いかける男達と、フェンスの外でその姿に歓喜する女達。
……やっぱり、理解できない。
汗と埃に塗れた汚れ物が、真っ白くなり、そこから漂う石鹸のいい香りに、は何だか嬉しくなる。
他のマネージャーたちが練習を終えた選手達にタオルとドリンクを配っている頃、は部室にいる。
綺麗に掃除された部室と、そこに畳んだ洗濯物の山を見て、ひとり、満足気に頷いた。
開け放たれた窓からは、まだ少し肌寒い、5月の風と新緑の香りが舞い込んでいた。