6月
6月初日。
掲示板に貼り出された中間考査の結果の前で、はその一番上にある名前を睨み付けていた。
生意気。
家は金持ち、スポーツ万能、カリスマ的に人気があって、しかも成績までトップなんて…、ホント、ムカつく。
3拍子どころか、4拍子も5拍子も揃っていそうなその人物の顔を思い浮かべて、は、そのすぐ下にある名前を見た。
中間考査総合得点1位、跡部景吾。
2位、。
ま、別にいいか。
別にトップを狙ってるわけじゃないし、10位以下に落ちなければ何の問題もないのだから。
バシッ
頭を叩かれ、後ろを振り返れば、の目に飛び込んできたのは、今正に思い浮かべていた人物。
「けっこうやるじゃねぇか」
彼特有の俺様な表情で、「ま、俺様には敵わねぇけどな」と、付け加えることも、彼は忘れなかった。
仮入部期間を終えたと同時に、テニス部1年の代表に納まった跡部景吾と、
マネージャー本採用になったが言葉を交わすのは、これが2度目だった。
1度目は、ただの挨拶と自己紹介。同じ部活に所属して、仮入部も含めて1ヶ月以上。
それでも、会話をするのは、2度目だ。
「…痛いんですけど」
自分より頭一個分以上背の高い跡部を見上げながら、は恨めしそうに言った。
彼の手には、おそらくの頭を叩いたであろう、一冊の丸められたファイルがある。
「1年の練習データーと過去の成績だ。実力別にまとめておけ」
自分の目の前に差し出されたそのファイルを見て、は眉を顰める。
「マネージャーの仕事だろ」
それを受け取らない不機嫌そうなに、跡部は偉そうに言った。
「こういうのは、柴田さんに頼んだら?」
「ア?その方が確実だろうけど、それじゃ他のマネージャーが育たねぇじゃねぇか。別に急ぎじゃねぇし、丁寧にやれ」
ファイルを押し付けて去っていく跡部の後姿に、は蹴りを入れたい気分だった。
もちろん、大勢の人の目があるこんな場所でそんなことをするつもりはないが。
開いたパソコンと、データーが書かれた紙の束の前で、は頭が痛くなる思いがした。
ここ連日と同じように、掃除と洗濯に精を出し、疲れて帰ってきて、さらにコレだ。
台所には、残り物を炒めただけのチャーハンとインスタントのスープの残骸が残っている。
マネージャーなんて、役割分担すればそれでいいと思うんだけど。
家に帰ってまで、テニス部のマネージャーをする気はないのに…。
重労働の後に、家事に勉強。加えてこれでは、はっきり言って体が持たない。
大量のデーターと『初心者のためのテニス』という本を片手に、はキーボードをタッチしていく。
1人や2人ではない。数十人いる1年生テニス部員、全員分だ。
大体、こんなこと、柴田亜樹にでもやらしときゃいいのに。
慣れない作業に頭を抱えながら、はその人物を思い出す。
柴田亜樹。と同じ1年生で、やはり同じく男子テニス部の正式なマネージャーだ。
準マネージャーという部類の一番下に位置するとは、立場も、権限も、仕事さえ違う。
中等部時代からテニス部のマネージャーであり、現在1年生マネージャーをまとめる人物でもある。
マネージャーでありながら、いくら時間が経っても決して乱れない、綺麗にセットされた髪型とメイクには、も正直、感心する。
日焼けを知らないような白い肌も、くるくる変わる表情も、弾むような声も、にとっては不思議でしかない。
でも、そんなことに興味はない。
柴田亜樹。
それは、にとって、できれば一番関わりたくない人物だ。
ドリンクやタオルを配るのも、笑顔を振りまくのも、応援するのも、勝手にやっていればいい。
は望んで、その場にいないのだから。
5日後、部活に向かう途中、その姿を見つけたは、足を速めた。
「跡部君!」
名前を呼ばれて振り向いた彼の横には、同じ部活仲間がいる。彼はいつでも、人に囲まれているような気がする。
足を止めた跡部に追いついたは、紙袋を取り出しす。
「預かったデーターのファイルと、まとめたもの。それと、それを記録したディスク」
コツン
差し出したそれを受け取った跡部は、それでの頭を叩いた。
そして、そのまま背を向けて、仲間達と部室へと歩いていってしまった。
…信じらんない。
5日間、他のことしないで頑張ったのに、ひとこともないわけ!?
俺様の横暴ぶりに呆れながらも、は、自分も部活へ行くために、彼らの後を追うしかない。
この5日間、食事はインスタントばかりだし、買い物にも行ってない。冷蔵庫は、空だ。
洗濯物は溜まってるし、授業の予習だってできていない。
5日間、本や資料と格闘したのに、その見返りは、その成果で頭を叩かれただけだ。
別に痛かったわけではないが、正直、呆れる。
労いや感謝の言葉がひとつくらいあってもいいのではないか。
マネージャーの仕事だと言われればそれまでだが、それでもは、やはり割りの合わないこの仕事を選択したことを後悔した。
部室で着替えた後、先程渡された紙袋の中身に目を通しながら、跡部はニヤリと笑った。
「何や、景ちゃん。そないにおもしろいんか?それ」
「まぁな」
自己紹介のとき、堂々と「テニスは初心者で何も知りません」と言った彼女に、跡部は呆れた。
試用期間中だというのに、部活はサボる。
それでも正式にマネージャーに採用したのは、ひとつの賭けだった。
推薦というか、要望があったのも、事実だ。
だがそれよりも、自分達を見向きもせず、与えられた仕事に没頭する彼女に賭けてみよう、というのが部長やマネージャーと話し合った結論だった。
ファイルを捲りながら、満足気に笑う。
正直、2週間くらいは掛かると見込んでいた。
5日間で渡されたことに、はっきり言えば、がっかりした。いくら早くても、内容がお粗末では話にならない。
だが、自分の手にある結果は、そのどちらの予想も裏切っていた。
賭けは、負けちゃいねぇようだな。
梅雨入り宣言もされたというのに、雲ひとつない青空の下、今日もテニスコートでは、黄色いボールが飛び交っている。