10月



大切な、愛しい人が、この世に生を受けた1年でたったひとつの日。
この感謝を、この喜びを表すのに、どんな方法が一番相応しいのだろう?


「誕生日、おめでとう」
時計の針がちょうど天辺に来た瞬間、は静かなキスを贈った。
そのキスを受け取った跡部は、静かに微笑む。
「で、プレゼントは何だ?」
「まぁ、色々考えたんだけど…」
「どこにリボンがついてるんだ?」
「何?」
「あぁ、服を脱いだらリボンがついてんのか?」
ニヤニヤと意地悪く笑う跡部は、のシャツのボタンに手を掛ける。
「…忍足君ね!もう、おしゃべり!」
「忍足が騒いでたぜ?に男がいるって」
「もう…」
困り果てるとは対照的に、跡部は至極楽しそうだ。


莉子との内緒話を盗み聞きされたのは、つい数日前のこと。
間近に近付いた跡部の誕生日に何を贈るのか、悩んでいたに、忍足は堂々と言い切った。
「そりゃ、身体にリボン巻いて、「私をあ・げ・る」に決まりやな!」
呆れ果てると莉子を無視し、彼は1人で盛り上がっていた。


「俺は構わねぇぜ?ホラ、言ってみろよ」
「馬鹿じゃないの?」
楽しそうな跡部に、は呆れてしまう。
「ま、お前は既に俺のもんだからな。そのプレゼントは意味ねぇけどな」
「……」
真っ赤になるに口づける跡部は、やはり楽しそうだ。

どうしてこの男は、こうも簡単に私を喜ばせるのだろう。
こんなにも自然に、私を嬉しがらせる言葉を口にする。

「ね、景吾」
「どうした?」
まだ熱の冷めないの髪を弄びながら、跡部の声は優しい。
「言っとくが、プレゼントなんて、これで充分なんだぜ?」
肩に掛かる髪を一束、手に掴み、ゆっくりと瞳を閉じ、跡部はの髪の毛に口付ける。

どうしよう。ドキドキが止まらない。
彼とはもっと恥ずかしいこともしてるのに、こんなことで心臓が爆発しそう。
彼に触れられた髪の毛1本の一番先まで、ドキドキしてるみたい。
今日は跡部景吾の誕生日だ。
なのにさっきから、は跡部にドキドキさせられてばかりいる。
「ねぇ、景吾」
跡部の首に抱きつき、は耳元で囁いた。
「…リボンはないけど、私を貰ってくれる?」
囁くような、本当に小さな声のその提案に、跡部は得意げな笑みを浮かべた。
「いいぜ。お前を全部、貰ってやる」



静かな眠りを妨げる電子音に、跡部は重い瞼を上げた。
温かいぬくもりを逃がさないように包まったシーツの中から、彼はその騒音の元へと手を伸ばす。
隣でまだ夢の中にいる彼女を起こさないよう、音を消した跡部は、そこに表示された名前に眉をしかめた。
「……」
枕に顔を伏せて、静かに寝息を立てる愛しい存在を確認し、跡部はボタンを押した。

「邪魔すんじゃねぇよ」
「俺だって馬に蹴られて死にとぅないわ。お楽しみなんやろ?」
「解ってんなら、切るぜ」
「ちょお待ちぃや」
突然の友人の電話を、跡部は本当に切るつもりだった。
せっかくの休日。しかも自分の誕生日。貰ったばかりのプレゼントとの時間を無駄にするつもりはない。
「…ったく、何だよ。くだらない用事だったら怒るぞ」
「そないなこと言うたって、俺かて朝から電話攻撃やで?」
「あ?」
少しかすれた、明らかに寝起きな声の友人に、忍足もその機嫌を損なうつもりはなかった。
おそらく彼の横には誰かがいて、その時間を邪魔された跡部の不機嫌は、忍足にも容易に想像できた。
「一緒におるんは…、プールのお姫さんか?」
「てめぇには関係ねぇだろ」
跡部の不機嫌な返事に、忍足は自分の予想が外れていないことを知った。

実際に会ったことはないが、小さな花飾りの髪ゴムをする姫の存在を、忍足は偶然、知ってしまっていた。
珍しい、と彼は思う。
中学で女に囲まれ始めてから、去年の今頃まで、跡部に女の噂は絶えなかった。
漸く大人になったのだと、大人しくなった彼に周囲が安堵した頃、おそらく彼は、既に見つけていたのだろう。
たった独り、そこにいるだけで自分を満たす存在を。

「用がないなら切るぜ」
「待ちぃって」
相変わらず不機嫌な電話越しの跡部に、忍足は小さな花飾りから電話へと、意識を戻した。
「亜樹や」
「亜樹…?」
「今朝からお前さんが捕まらんって、何度も電話してくるんや」
「あぁ…」
忍足の言葉に時計を見れば、まだ昼前。
この時間に電話をしてくるということは、亜樹は本当に朝早くから、跡部に連絡を取ろうとしていたのだろう。
だが、彼女の知っている携帯電話の電源は切ってある。この家に、彼はいないことになっている。
亜樹に跡部を捕まえることは、不可能だ。
緊急性のある用事なら、優秀な執事がどうにかするだろうし、
電源の入っている携帯電話の番号を知っているのは、隣で眠る彼女を含め、片手で足りるほどだ。
そこに亜樹は、いない。
「で、亜樹は何の用事なんだ?」
「…誕生日プレゼントを渡したいんやって」
「……くだらねぇ。どうせ明日学校で会うじゃねぇか」
「そないなこと俺かて言ったわ。せやけど、どうしても今日渡したい、言うてな」
「……」
隣に眠る存在は、未だ枕に顔を伏せたままだ。
どうしても欲しいプレゼントは既に貰った。
規則的に上下する肩に掛かった黒い髪の毛を、指に絡ませる。
例え大事な部活のマネージャーだとしても、この微温湯のように居心地のいい時間を邪魔させるつもりはない。
「とにかく、俺は今家にいねぇことになってるし、どっちみち亜樹には会わねぇよ」
「…お前も悪いんやで。亜樹の気持ちに気付いとるんやろ?」
マネージャーの亜樹が自分に特別な感情を持っていることくらい、中学のときから気が付いている。
跡部だけではない。同じテニス部の仲間たちも気が付いているだろう。
それほどまでに彼女はあからさまで、その感情を隠そうともしない。
だが跡部は、大切なテニス部の仲間を他の女と同じように扱うつもりはなかったし、
という存在を手に入れた今となっては、既に他の女など欲しくない。
「はっきりさせたりぃや。亜樹のためにも、そこにおるお姫さんのためにも」
「…んなこと言ったって、亜樹が何も言ってこない以上、俺にはどうしようもねぇんだよ」
亜樹の想いは解る。それでも、はっきりとその想いを告げられたわけではない。
との関係を表沙汰にするつもりがない以上、どうにもできないのだ。
「とにかく、亜樹はどうにかしろよ。俺は今日、誰にも会うつもりはねぇ」
抗議する電話の向こうの声を無視し、跡部はその電源を切った。
問題はない。一番連絡を取りたい相手はすぐ横にいるし、緊急の場合は優秀な執事がいる。

役割を果たさなくなった携帯電話を放り投げ、跡部は再び柔らかいぬくもりの中へと戻った。
誕生日になった瞬間に貰ったプレゼントは、太陽が顔を出すまで愉しんだ。
まだ、眠りの中にいていい時間だ。
自分が生まれた日に贈られた愛しいプレゼントを腕に閉じ込め、跡部は再び重くなってきた瞼を閉じた。



何で?納得できないよ!
忍足の家から帰る途中、亜樹は綺麗にラッピングされた箱を握り締め、怒りに震えていた。

今朝一番にかけた電話は、繋がらなかった。
訪ねた家では、柔らかい物腰の執事に、彼の不在を告げられた。
優秀な執事は彼の居場所をもらすようなことはなかったし、携帯電話はやっぱり繋がらない。
従者みたいに彼の側にいる男も、一番仲の良い男も、彼の居場所は知らないと言う。
何でなの!
日曜日になった彼の誕生日。
誰よりも一番におめでとうを伝えて、プレゼントを渡すつもりだった。
学校の、彼を遠くから見つめていることしかできない女達とは違う。
私は、特別なんだから。
忍足の言うとおりに、明日学校でなんて、我慢できない!
跡部低を訪ねたとき、そのガレージに並ぶ車は、どれもあるべき場所に合った。
彼がいつも好んで使う車も、そこにあった。
タクシーや電車を使う彼なんて、想像できない。
彼は絶対に、家にいるんだ。なのに何で、私を無視するのよ!

跡部景吾に一番近い女は自分だと、亜樹は微塵も疑っていない。
コロコロと付き合う女を変えていた頃だって、亜樹は一番近くにいた。
そんなお遊びを辞めた今、次に彼が求めるのは自分自身だと、亜樹は信じている。

景吾のバカ!
亜樹を無視するなんて…っ!



跡部が瞼を閉じ、規則的な寝息を立て始めて漸く、はその身を起こした。
重く、自分に絡まった腕からそっと抜け出し、床に散らばったままのシャツを身に着ける。
部屋のあちらこちらに散らばる洋服とクッションは、昨日…否、今日の情事の激しさを物語っている。
そんなクッションに放り投げられた、彼の携帯電話。
既に電源の切られたそれを手に取り、は、切なげに握り締めた。

眠りを覚ます電子音に、も緩やかな目覚めの中にいた。
まだ重たい、気だるい体を起こす気になれず、暖かな布団にまどろんでいるうちに、彼はその電子音を手に取った。
眠り半分の意識の中で、その相手が誰だか判った。
邪魔をしてはいけないと、眠りの中に戻ろうとしたとき、その名を耳にしたのだ。

「亜樹」

瞬時にして、甘い夢は去った。
硬くなった身体を彼に気付かれないよう、必死で眠ったふりを続けた。
の耳に届く跡部の声だけでは、その会話の全貌を知ることはできない。
それでも、亜樹が跡部に会いたがっていることだけは、理解できた。
「会いにいってあげて」など、には言えない。
彼の生まれた日に、彼と2人だけで過ごすこの時間を、誰かに譲ることはできない。
それが亜樹なら尚更、に余裕はなかった。
「何てひどい女。欲張りで、嫉妬深くて…」
携帯電話を手に、は自分の性格が嫌になる。
彼の誕生日を一番初めに、一番近くで祝い、こうして今も一緒にいるのに、それでも、たった数分の時間さえ、彼女に奪われたくない。
「会わない」と彼が言ったとき、どれだけ安堵したことか。

「お願い。もうこれ以上、私から何も奪わないで」
父親は、のものである前に、既に彼女だけのものだった。
たった1人の母親が残してくれたものは、亜樹の言葉ひとつで永遠になくなってしまうかもしれない。
楽しかったテニス部のマネージャーは、亜樹の手で取り上げられた。
それどころか、日々の生活でさえ、彼女の意思ひとつで崩れてしまいかねない。

情事の痕が残る部屋と、その共犯である男が眠るベッドを、は見渡す。

お願い。あと少しでいいの。
彼だけは、この手に。彼だけは、奪わないで…。








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