12月
街中で五月蝿いほどに響くジングルベルも、偽物の雪の中で輝く赤や緑のネオンも、ここまでは届かない。
聞こえるのは、暖炉で燃える薪の音。瞳に映るのは、相手の瞳に映った自分の姿だけ。
「ねぇ、何でこれ、してるの?テニスでもするつもり?」
何も身に付けない素肌で、彼の右手にだけ、そのリストバンドが嵌められている。
その姿は、とても滑稽で、とてつもなく嬉しい。
10月4日の誕生日に贈った自分のプレゼントだけが、彼の素肌を包んでいる。
「変なの」
「お前もな」
クスクスと笑うの胸元を指し示し、跡部もまた、その姿に喜びを感じる。
素肌を晒した彼女が身に着けるただひとつのそれは、なだらかに膨らみ始める胸の中央で光り輝いている。
「変?」
自分の胸にある小さな真珠を弄び、はその姿を跡部に晒す。
「…いや、最高だ」
跡部の言葉に、もにっこりと微笑んだ。
滑らかな素肌にただひとつ、清らかな輝きを放つ一粒の真珠。
それは、滑稽でも可笑しくもなく、ただひたすら神秘的で、官能的だった。
このクリスマスに跡部が贈ったプレゼント。それだけを身に纏うのは、2ヶ月前に貰った誕生日プレゼントのひとつである、。
それを眺める跡部の右手には、生まれた日を祝うリストバンドと、とっくに彼女に捧げた彼自身。
2人の間を邪魔するものは、遠く離れた東京の地へ置いてきた。
人目を気にすることもないこの別荘で、2人だけで過ごす時間。
それは、秘密の関係を続ける2人にとって、最高のクリスマスだった。
彼の胸に寄りかかり、その右手で、彼の右手にあるリストバンドを弄ぶ。
彼の唇は、彼女の白い首を飾るチェーンを弄んでいる。
くすぐったくて、甘い時間が流れていく。
「え…?」
悪戯に指を絡ませていた彼女が固まる。
甘い空気は一瞬にして消え、の指は跡部の手首とリストバンドの間に挟まれたまま、動かなくなった。
「どうした?」
「……」
何かを確かめるように、跡部の肌とリストバンドの間を一周したあと、は何かを含んだ瞳で見つめ返した。
「これがどうかしたのか?」
手首から、おそらくの変化の元凶であろうリストバンドを外し、彼女の前に差し出した。
はそれを受け取り、裏返すと、やはり何かを確かめるように、そこを撫でた。
「…?」
「景吾、これ、違う」
「あ?」
彼が毎日のように使っているリストバンドだ。劣化も消耗もする。
だからこそ、新しいものに買い換えられたとしても、何の不自然さもない。
だが、が引っかかったのは、そこではない。
もし買い換えたのなら、跡部は隠しはしないし、こうして甘い時間を作る道具にもしない。
跡部の腕の中でくるりと向きを変え、は正面から彼の瞳を見つめた。
「これ、私が贈ったものじゃない」
「何言ってんだ?これは間違いなく…」
言葉を続けようとした跡部は、静かに首を振るにその続きを口にするのを止めた。
「どういうことだ?」
「…景吾には言わなかったけど、私、ここに刺繍をしたの。目立たないように同じ色の糸で」
の手の中からリストバンドを奪い、ひっくり返された裏地も、その中にある表地も、跡部は確かめた。
「景吾と私のイニシャルを、確かに入れたの」
だが、そこには何の跡もない。
刺繍が施された跡も、それが解かれた跡も、何もない、既製品そのままの生地があるだけだ。
「確かか?」などと、愚かな質問はしなかった。
が間違えるはずもないし、嘘をつく必要もないからだ。
ならば、これは、間違いなく「別のもの」だ。の悲しげな瞳に、跡部はそう確信した。
その瞬間、大切で愛おしかった宝物が、何の意味もないただの「モノ」へと変化した。
それどころか、その身に付けるのもおぞましいほどに感じ、跡部はそれをゴミ箱へと放り投げた。
「何で…?」
自分の胸に顔を埋める同様、跡部の中にも疑念が渦巻いていた。
一体いつ?どこで?誰が?
最初の疑問の答えは判らない。
だが、次の疑問の答えは、学校か家かの2つに絞られる。
家の者がこんな意味のないことをする理由はない。ならば、学校だ。
問題は、誰か、ということだ。
朝練と同時に部室のロッカーへしまわれるそれは、自分が身に付けるとき以外、その場所を離れることはない。
部室が荒らされた形跡も、ロッカーの鍵がこじ開けられた形跡も、なかった。
「……」
そうなると、自ずと「誰か?」の疑問の答えは見えてくる。
部活中にジローが叫んだあの日から、跡部の彼女の存在と、リストバンドは好奇のネタになっている。
そんな騒ぎの中でも彼女のことを語ろうとしない跡部に、リストバンドだけがその女の存在を示す唯一のものとなっていた。
鍵を自由にできる部員たちの顔を思い浮かべる。
そして辿り着くのは、男子テニス部の中に存在する、女子部員たち。
10人以上いるそのマネージャーたちの中で、誰がやったのかまでは解らない。
だが、誰に踊らされたにしろ、自発的にやったにしろ、その中に実行犯がいることに間違いはないのだ。
ついさっきまで、この空間は誰にも邪魔されることのない、甘い空気に包まれていた。
だが、一瞬にしてその中へと入り込み、その空気をぶち壊した侵入者に、跡部はどうしようもない怒りを感じていた。
先ほどまで柔らかい笑みを浮かべていたは、今、悲しみに包まれている。
夢のような時間を取り戻すように、しがみつくを、跡部はその腕でしっかりと抱きしめた。
彼女の存在を周囲にバラしたことに、後悔はない。
例え、その正体を曝すことはなくても、それでも大事な女の存在を周囲に示したのは、間違いではない。
だが、その反動が思いも寄らなかった形で返ってきた。
おそらく犯人は、が贈ったのと同じリストバンドを買い、こっそりと入れ替えたのだろう。
それがいつのことかは判らない。つい最近のことなのか、それとも身に着け始めたばかりのころなのか。
だが、犯人は得意げにリストバンドを大事にする跡部を見て、越に浸っていたのだろう。
自分の悪事が露見するとは、露ほども考えずに。
跡部はもう2度と、そのリストバンドをつけるつもりはなかった。
それどころか、部室のロッカーにさえ、自分にしか開けることのできない錠を付けるつもりでいた。
だが、今の問題はそんなことではない。
甘く、優しい時間になるはずだったクリスマスに、が悲しみに包まれていることの方が問題だ。
涙を零すことはしない。
だからこそ判る彼女の悲しみを打破すべく、跡部はを強く抱きしめた。
その髪に、額に、閉じられた瞼に、頬に、唇に、何度もキスを贈る。
俺はここにいる。そんな想いを込めて。
触れる肌にの熱が戻り始めた頃、跡部は既に昂ぶっていた。
その欲望を表すように硬くなった自分自身をに擦り付け、その想いを伝える。
潤み始めたの中に跡部が納まる頃には、暖炉の火も燻り始めていた。
月明かりだけが頼りの淡い光の中、跡部とは、お互いの熱を奪い、与え合う。
突然現れた侵入者の影を追い払うように、
もう、どんな邪魔さえも、この時間を犯すことができないように。