3月
ホワイト・デーに贈られたキャンディーは、とても甘く、の口の中で溶けていった。
「お前、来年はどこのクラスになるんだ?」
「クラスって…、そんなの知らないよ。先生が決めるんでしょ?」
の狭いアパートで、お互いの期末試験の結果を見せ合っていた2人は、顔を見合わせる。
跡部は呆れた表情で、は疑問符を浮かべて。
「本気で知らねぇのか?」
「何が?」
「3年の組分けは、進路別に別れるんだよ。俺は間違いなく1組だな」
「何で?」
「理系、国立、私大難関、留学。ま、そんなのを狙うのが1組。ちなみに文系は2組だ」
「ん〜、分かんないけど」
跡部の説明によると、4年生大学進学希望者が1組から4組までに別けられ、
上の氷帝大学と短大の希望者がその後ろ、専門希望者は8組になるらしい。
ならば、進学しない就職組の自分は、どこに入るのだろう、とは思うが、答えなど知るはずもない。
「分かんないって、進路志望はどうしたんだよ」
「…それは、秘密」
ふざけて言っただったが、就職希望などとは言えなかった。
このお金持ちの集まる氷帝学園で、そんな希望を出しているのは、1人だろう。
良くて「花嫁修業」だ。
「ま、どうせお前も1組か2組だろ」
「何で?国立なんて狙ってないよ?」
「……」
目の前で、本当に自分を理解していないに、跡部は大きな溜息をつきたくなる。
この2年間、常に跡部のすぐ後ろで成績を維持してきた人物が、他のクラスになるなど、有り得ない。
例え、の志望がどこだろうと、教師陣はをトップのクラスに入れるに違いないのだ。
「ま、いい。どの道、同じクラスか隣のクラスだ」
「変なの。私は違うと思うけど」
跡部の確信にも似た言葉が、には理解できない。
進路希望表には、就職としか書いてないし、三者面談でもそのことを確認しただけだ。
結局3年間、1度も景吾と同じクラスにはなれなかったな。別にいいけど。
同じクラスならクラスで、その付き合い方に戸惑ってしまうだけだろう。
それならば、学校以外の場所で、何も気にせず一緒にいられる方がいい。
溶けて消えてしまったキャンディーに口寂しさを感じ、は新たな包み紙に手を出した。
ホワイト・デー。
年にたった1度だけ、跡部から贈り物をもらえるこの日は、亜樹にとって最良の日になるはずだった。
誕生日に贈られる、皆からのプレゼントではない。
跡部1人から贈られる、大切な日だ。
だが、今年はそんな贈り物はない。
当然だ。ちょうど1ヶ月前のバレンタイン・デーに、亜樹は跡部に受け取ってもらえなかったのだから。
誰のチョコを拒否しても、自分だけは違う、と亜樹は信じていた。
だが、そんな確信は、跡部のひとことで、脆くも崩れ去った。
「言っただろ?一切受け取らねぇって」
すまなそうな様子もなく、ただひとこと。冷たい言葉だった。
亜樹の手に届いたのは、男子テニス部の皆から、マネージャーの皆へと贈られた、お返しだけ。
いや、そこに跡部景吾は含まれていない。
美味しそうなクッキーも、亜樹にとっては、ゴミ同然だった。
絶対、何かがおかしい。
どこかで、自分の知らないどこかで、歯車が狂い始めている。
高校3年間までは、ただ、彼の一番近くにいるだけでいい。
卒業までに、彼はきっと気付くはず。一番近くにいる、特別な存在に。
高校を卒業するとき、彼と自分の関係は、新しい、甘美なものへと変わっていく。
ケンカをするかもしれない。馬鹿みたいなヤキモチを妬き合うかもしれない。
それでもいつか、彼は私の薬指に指輪を嵌め、私は跡部家の女主人になるのだ。
贅沢な暮らしと、自慢の夫に囲まれ、何不自由ない生活を送る。
そんな亜樹の未来予想図は、どこか別の方向へとずれてきている。
高校を卒業するまで、あと1年。
確実に1組になる彼と、同じクラスになることは有り得ない。
この2年間、張り出される成績上位者の中に、亜樹の名前があったことは、一度としてないのだから。
男子テニス部という繋がりを持てるのは、あと半年しかない。
それまでに、軌道を修正しなくてはいけない。
あるべき正しい未来へと続く、確かな軌道へと。
高校を卒業するその日、跡部景吾の横に立っているのは、柴田亜樹でなくてはいけないのだから。
あと1年。
制服を脱ぎ捨て、高校生という肩書きを捨てる、その日。
彼女は、信じている。
彼の横に立っているのは、自分自身だと。
彼は、期待している。
すべてが明らかになり、何の秘密もなくなることを。
彼女は、恐れている。
大切なものが、この手から失われてしまうことを。
あと1年。
高校という場所を出て行くその日、誰の思いが叶うのか、叶わないのか。
それを知るものは、今はまだ、いない。