4月



例えば、どんなに大人しく、目立たないように行動していたとしても、1年もの時を一緒に過ごせば、それなりに親しくなるものである。
2年に上がり、1年からのクラスメート達と普通に言葉を交わすように、
裏方しかしていないに、同じクラスになったテニス部員が話しかけるのもまた、自然なことだった。

〜、これ頼んます!」
教室で、クラスメートであり、同じ部活仲間でもある彼が差し出したそれを、は受け取る。
「部活までに直しておくね」
「サンキュー!」
広げた練習用ジャージの裾には、小さな引っ掛け傷があった。

鞄の中からソーイング・キットを取り出し、はその穴を器用に繕っていく。
そんなの横では、隣の席の男と、そのジャージの持ち主が興味深そうにその様子を見ている。
「ほんま器用やなぁ」
「ホント!が一番ウマイC〜」
忍足侑士、芥川慈郎。2年になり同じクラスになった、同じ男子テニス部々員だ。
「私は、皆みたいにテニスはできないけどね」
あんな小さな球を自分の思い通りにコントロールする彼らの方が、は器用だと思う。
針や糸はボールより小さいけど、あんなスピードで動いたりしないのだから。

2年生進級と同時に行われたクラス替えで、はこの2人と同じクラスになった。
1年では、同じクラスにテニス部員はいなかったし、初めての経験だが、親しげに話しかけてくれる彼らはありがたいと、は思う。
人懐っこく、人気のある彼らは、が新しいクラスに馴染むのを、とても助けてくれている。
放課後に一緒に遊んだりするような友達はいないが、それでもそれなりに、はクラスメート達と仲良くやってきている。



「侑士!ジローちゃん!はい、これ」
「何や?亜樹」
「あ〜、お菓子の匂い!」
放課後、部活に向かう途中、紙袋を差し出した亜樹はにっこりと笑った。
「調理実習、クッキー作ったの!ちょっとだけど、食べて」
亜樹が説明している間に、ジローは既に紙袋を開け、その中身に手を出していた。
「おいし?ジローちゃん」
「うん!サンキュー、亜樹」
「調理実習、ちゅうことは、跡部もエプロン着けてクッキーさんを作ったわけやな?」
亜樹の後ろにいた跡部を、面白そうに見て、忍足が言った。
「…悪ぃかよ」
忍足やジローと一緒に部活に向かっていたため、その場にいたにも忍足の言葉は聞こえ、は思わずその姿を想像してしまう。
「プッ…」
「てめぇ…」
それを跡部が見逃すはずもなく、はこめかみをピクピクさせた跡部に思いっきり睨まれてしまった。
「ごめんなさい。でも…クスクス」
あまりにも似合わなそうなその姿に、は笑いを抑えることができない。
「ええって、。そんなん、俺かて笑うわ」
肩を震わせるの肩に手を回し、大きく頷く忍足の姿に、跡部の顔は益々不機嫌になる。
「え〜、すごく似合ってたけどぉ。それに景吾のクッキー、すごく美味しかったんだから!」
「へぇ〜、俺も食ってみたいわ。景ちゃんのクッキー」
不機嫌な表情のままの跡部と、それをからかう忍足達を残し、は「先に行くね」とその場を後にした。

「もうねぇよ」
「え〜、何でぇ?俺も食べたいC〜」
「景吾のクッキーはクラスの子達が皆食べちゃったもん」
「え〜」
本気で残念そうに悔しがるジローと、まだ跡部のエプロン姿を想像し、にやけている忍足。
亜樹は跡部を庇うようにその腕を絡ませ、彼のクッキーを食べたその優越感に浸っている。
騒々しい仲間達や、腕に重いマネージャーを無視し、跡部は、前を歩いているに視線を移す。
そうして絡みつく腕から自分の腕を外し、自分も歩き出した。



ガチャ

大量の洗濯物をいつものように部室で畳んでいたのところへ、休憩時間になった跡部が顔を出した。
はその姿を見た途端、エプロン姿でクッキーを作る跡部を想像してしまい、顔を逸らし、肩を震わせてしまった。
「…いつまでも笑ってんじゃねぇよ」
「…ごめん」
謝りながらも、肩の震えは止まらない。
ロッカーの中から小さな包みを取り出した跡部は、それでの頭を叩いた。
「何?」
自分の頭を叩き、目の前に落とされた紙袋に、は不思議そうな顔を跡部に向ける。
何も言わずに視線を逸らす跡部を訝しく思いながらも、その紙袋を開ければ、中にはクッキーが3枚、入っていた。
「…跡部君の手作り?」
「笑いながら食ったら承知しねぇぞ」
どこか照れくさそうに、それだけを言って部室から出て行った跡部に、はそれまでとは違う、優しい笑みを浮かべていた。

20枚以上会った跡部のクッキーは、その殆どがクラスの女子に持っていかれた。
跡部はその中からどうにか3枚だけ残し、紙袋に入れ、ロッカーに忍ばせていたのだった。

「本当に美味しい」
綺麗な小麦色に焼けたそれを口に運び、はその美味しさに笑みを深くする。
エプロン姿の跡部を思い出すと笑いが起きそうになるだったが、自分の為に紙袋にクッキーを入れる彼を思うと、自然とその揶揄は消えていった。
たった3枚のクッキーがもたらす甘い香りと幸せな時間に浸りながら、は再び大量の洗濯物を畳み始めた。



最近、跡部は休憩時間になると、テニス・コートから姿を消すようになった。
それまでは、ベンチに座り、ただ身体を休めていたのに、このところはその短い休憩時間に、別の場所へ行く。
それが気になった亜樹は、彼をこっそりとつけたこともある。
水道へ行き顔を洗ったり、部室へ戻りタオルを取ったり、ラケットを変えたり、ガットを直したり、そんなことだけだ。
別におかしなことはない。
ただ、ときどき跡部の行く場所にいるが、亜樹は気に入らなかった。
親しげなわけではない。ただ、挨拶程度の言葉を交わすだけだ。

今日も休憩時間、跡部はテニス・コートから姿を消した。
後を追うことはしなかったが、戻ってきた跡部がどこか嬉しそうなのが、亜樹は気になった。
亜樹にとって、は脅威でもなんでもない。
それでも、自分のものになるはずの跡部が、と一緒にいたかも知れないその想像が、亜樹には我慢できなかった。


その日家に帰った亜樹は、携帯電話を取り出し、ひとつの番号を押す。
約1年ぶりに押すその番号の呼び出し音が鳴っている間、亜樹は得意そうに、笑みを浮かべていた。








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