7月
梅雨明け宣言もまだされていないというのに、雲ひとつない空からは太陽が懸命に熱射を送っている。
もうすぐ夏休み、というその週末、跡部とは、彼の家のプールでそのうだるような暑さを楽しんでいた。
「、こんなところで寝るなよ」
「ん…」
午前中いっぱいをプールではしゃぎ、簡単な昼食で満たされたの身体は、心地良い疲労と満腹感でまどろみの中にいた。
水着にパーカーを羽織ったまま、という姿で午睡に興じるの姿を、跡部もまた、同じような格好で見ていた。
「景吾様、お客様がお見えになっております」
「客?」
プールサイドにいた跡部たちの元へ、執事が客の来訪を告げにきたときも、は眠ったままだった。
「ご学友の方々です。その…、水着をご持参のご様子で」
毎年のことだ。夏の暑さがきつくなる頃、彼らが跡部家を訪ねてくるのは。
「お帰りになって頂きましょうか?」
「……」
視線を向けるような無礼なことはしないが、執事の言葉は跡部の横にいる、水着姿の女性の存在を示していた。
「…いや、いい。15分待たせて置け」
「畏まりました」
頭を下げ、プールサイドを後にした執事を確認し、跡部はの身体の下に腕を入れた。
「ん…?景吾?」
「客が来た」
跡部に抱きかかえ上げられ、薄っすらと目を開けたは、跡部の言葉をまだ半分だけの意識の中で飲み込もうとしていた。
「お客、様…?」
「忍足達だ。毎年、うちのプール目当てに来るからな」
「……!ちょっ!」
「いいから落ち着け」
腕の中で暴れ始めたをしっかりと抱き、跡部はそのまま、自分の部屋へ向かう。
いつものソファーの上に降ろされ、は不安げな瞳で跡部を見た。
「私、すぐに帰るね。その裏から…」
「少しここで待ってろ。あいつらの目当てはプールだけだ。勝手に遊ばしときゃいいんだよ」
「でも…」
「いいから、ここで大人しくしとけ。鍵かけて、外に出るんじゃねぇぞ」
不安げなを残し、跡部はその部屋を出て行った。
「何や、跡部もプール入ってたんやな」
水着姿の跡部を見てそう言った忍足の後ろには、亜樹、宍戸、日向、樺地、鳳、と、いつものメンバーがいた。
「ジローはデート、日吉は道場やて」
「遊びに来ちゃった」
紅一点の亜樹は進み出て、跡部の腕に絡みついた。
我が物顔で真っ直ぐ、プールへと進んでいく仲間達の後を、跡部もまた、腕を掴む亜樹を無視しながら、追っていく。
「適当にしとけ。用事はそこのメイドに言え」
プールサイドへ着いた一行にそれだけを伝え、跡部はその場を後にしようとした。
だが、腕に絡みついたままの亜樹が、その跡部を制した。
「え〜、景吾も一緒に遊ぼうよ」
「俺はもう充分なんだよ。お前らだけでやってろ」
「え〜」
頬を膨らませ、胸を押し付けてくる亜樹にウンザリし、跡部はその腕を剥がした。
そんな跡部の行動に面白くない亜樹だが、折角の休日、との時間を邪魔され、跡部もまた、不機嫌だった。
追い返すこともできたが、怪しまれるのも避けたかったし、簡単に帰るような奴等ではないことは、跡部が一番良く知っている。
跡部は、仲間達をこのプールに留まらせ、一刻も早く、の待つ自分の部屋へ行きたかった。
早速服を脱ぎ、既に下に来ていた水着でプールに飛び込む男達とは別に、亜樹は渋々ながらも更衣室へと消えていく。
「跡部」
踵を変え、歩き始めた跡部の肩を、水着姿になった忍足が掴んだ。
「…ほい、これ。忘れ物や」
プールに背を向け、隠すように渡されたそれは、忍足の手から、跡部の手へと落ちる。
「もうちっと気ぃ付けや?」
「お前等が来るからだろ」
「ま、邪魔したのは悪いけどな。見つけたんが俺で良かったやろ?」
「……」
確かに、樺地ならともかく、それ以外の人物に見つかっていれば、どんな騒ぎになっていたかと思うと、頭が痛くなる。
特に亜樹に見つかれば、ただ事では済まないだろう。
「珍しいやないの。家に連れ込むんは」
「…口滑らすんじゃねぇぞ」
「わーっとるって。もう邪魔はせんから、ゆっくり楽しみ?」
忍足から受け取ったそれをしっかりと握り締め、跡部は今度こそ、その場所を後にした。
鍵を開け、部屋に入ったが、そこにいるはずの人物が見当たらない。
「?」
跡部が声を掛ければ、奥の部屋からその人物が、そっと顔を出す。
「…びっくりした。他の人だったらどうしようかと思った」
「ここの鍵は俺と執事以外は持ってねぇよ。心配すんな」
既に着替えを済ませていたに軽いキスを贈り、跡部もまた、着替えるためにバスルームへと向かった。
「大丈夫だった?」
「あぁ。気にすんな」
バスルームのガラス戸越しに、と跡部は会話をしている。
そのガラス戸に凭れ掛かるように座り込んだの背中からは、シャワーの音とくぐもった跡部の声が聞こえる。
「本当に帰らなくていいの?」
「帰るんなら、あいつらを帰らせるぜ」
「……」
この広い跡部邸で、プールにいる彼らと鉢合わせすることはないだろうと解っていても、それでもは不安で仕方ない。
訪問者の中に亜樹がいることは、おそらく間違いないだろう、と、は考えていた。
ふと、バスルームの棚に置かれた、小さなそれが目に入った。
見覚えのある小さな花飾りに、は思わず自分の髪を確かめていた。
「…!景吾!このゴム…」
「あぁ、忘れ物だと。忍足が見つけた」
「……」
プラスチックの小さな花が付いた、黒い髪ゴム。どこからどう見ても、女物だろう。
の髪を結わいていたものだった。プールの中で跡部に奪われ、そのままになっていたのを、はすっかり忘れていた。
ガラッとガラス戸を開け、シャワーの湯気の中にいる跡部に、はバスタオルを手渡す。
蒼い顔でぎゅっと髪ゴムを握り締めるの頭を、跡部は濡れたままの手で撫でた。
「心配すんな。お前だってことはバレちゃいねぇよ」
確かに飾りのついた髪ゴムを学校にしていったことはないが、それでも、ここに女がいることは、忍足にはバレてしまっているだろう。
の不安げな顔は、戻らない。
「口の軽い奴じゃねぇし、口止めもしといた。他の奴等にはバレちゃいねぇし、問題ねぇよ」
そうだろうか。
跡部に口止めをされた忍足がおしゃべりをするとは思わないが、それでもこんな小さな失敗から、綻びは縺れていくような気がする。
バスローブを羽織った跡部は、俯いたままのを抱き上げ、洗面台の上に乗せた。
しっかりと視線を合わせ、の唇に自分のそれを重ねる。
「この部屋はお前以外入れねぇんだ。ここにいれば、何の心配もねぇだろ?」
優しく諭す跡部の首に腕を回し、はぎゅっとしがみつく。
濡れたままの彼の髪が、の服に水滴を落としたが、それでもはその腕を離さなかった。
気を付けよう。
この関係の心地良さに甘えて、今までが気を抜きすぎていた。
誰かに、亜樹にバレたら、この人を失ってしまうかもしれない。
気を付けなくちゃ。こんなことが2度とないように、この秘密の関係に誰も勘付いたりしないように。
プールで涼む彼らの声は、ここまでは聞こえない。
それでも、確かにその存在を感じるは、離れないよう、失ってしまわないよう、彼の身体に抱きついていた。