1月
「Happy new Year!」
時計が12時を回ったと同時に、優しいキスを交わした。
思い返してみれば、去年も、一昨年も、こんなふうにキスで新年を迎えたな、と、
は懐かしい、甘い思い出に想いを馳せた。
「それで?そのキスの相手は、ケイゴ・アトベ?」
「そ。他にいるわけないでしょ」
さも当たり前に微笑むに、ダンは何だか面白くない。
2年半ぶりに再会した愛しい人の忘れ形見が、ダンは可愛くて仕方ない。
独身貴族などと、結婚や子供を持つことを考えたこともなかった彼にしてみれば、大きな変わりようだ。
人生で初めて、彼に独身生活を辞めさせる決心をした女性は、今はもう、この世にはいない。
結婚を決意した矢先、その女性は病に倒れた。
柔らかな陽射しが差し込む部屋で、日に日に痩せていく彼女を見ているのは、正直、苦しかった。
それでも、その場を離れることができなかったのは、彼女を愛していたからで、
苦しくても、微笑みながら逝った彼女を見送ることができたのは、共に苦しむがいたからだ。
ダンと一緒にいたころのは、明るい、元気な、年頃の女の子だった。
シングルマザーの母親と、友達のように、姉妹のように、笑いあい、ケンカしあい、愛しあっていた。
友人に囲まれ、派手な色のマニキュアを上手く塗ることに命を懸け、母親譲りの黒髪が自慢だった。
母親を心配させないように優秀な成績を取り、母親を困らせるように甘えん坊だった。
去年の7月に日本へ行ったのは、仕事のためだった。
離れてしまった我が子を心配するように、通っている学校へ足を伸ばせば、そこにいたのはダンの記憶とは全く違うだった。
学校からの帰り道、周囲を歩く同じ制服の子達と言葉を交わすこともなければ、笑みもない。
周囲に何の関心もないように、ただ歩くは、まるで別人のようだった。
周囲の女子高校生のように、おしゃれもしていない。きれいな黒髪は、きつく結われている。
ダンを襲ったのは、激しい後悔だ。
帰国の予定を延ばし、の環境を調査し、彼女の父親に会った。
反吐が出そうなほど、最低な男だった。
ダンには理解できない。自分の血を分けた娘に、何の関心もないこの男が。
たった数年前に知り合ったばかりのをこんなにも愛している自分と比べ、父親だというこの男は、何故愛することができないのか。
12月、雨の降る空港で、父親という血を信じて、を見送った。
それは間違いだったと、ダンは今でも後悔している。
「2年前は、私の部屋で一緒だったの。その時はまだ、つきあってなかったけど」
僅かに頬を染めながら、嬉しそうに語るに、ダンも自然と笑みがこぼれる。
「去年は、彼のご両親の別荘。すごく素敵な所だったのよ」
クリスマスに貰ったという真珠を弄ぶの指には、淡いピンクベージュのマニキュアがきれいに塗られている。
母親が生きていたころの派手さはないが、それでも黒髪を揺らし、柔らかく微笑む彼女は、あのころと同じ笑顔をしている。
決して恵まれていたとは言えない日本での生活を、はまるで宝物のように大切に語る。
そこに出てくるのは、2年半もいたとは思えないほど、少ない彼女の知人だ。
そして、一番多く登場するのが、跡部景吾。
彼の話をするとき、の頬がほんのりと染まり、最後のプレゼント・ボックスを開くかのように、瞳が輝く。
本当の娘だと思っているの恋人の存在は、父親のダンにとっては面白いものではなかったが、
それでも、自分がいない間、を慈しんでいてくれたのだと思うと、ダンはその跡部景吾という男に感謝せずにはいられない。
「、どうしてケイゴと別れたんだい?」
「…だって、そうするしかなかったから」
遠距離という障害はあるものの、ダンには、が別れを選んだ理由が理解できない。
その話をするとき、はいつも同じ答を言う。
仕方がない。子供だから、と。
「子供だという理由は、B.Fと別れる理由にはならないだろう?」
「そうかな?だって、子供は1人じゃ何もできない。景吾と一緒にいるのは、無理だもの」
「どうして?」
「…何もかも諦めて、景吾だけを見続ける強さはない」
が今でも跡部景吾を想っているのは、ダンにも容易に判る。
それほどまでに、の語る彼との思い出は、キラキラと輝いている。
「学校とか、生活とか、周囲の目とか、非難とか、そんなのに負けそうだから」
切なげにそう言うは、どこか寂しげに見える。
私がもっと大人で、強かったら、一緒に入れたかもしれない。
でも、あのままでいたら、きっと後悔しちゃう。景吾を好きになったことも、一緒にいたことも。
甘えるだけの関係なんて、イヤなの。
景吾は優しくて素敵な人だから、重荷になるような恋人はいちゃいけないの。
泣きそうな顔で、それでも笑顔で話すは、ダンの瞳には、とても強く見えた。
「、人間は独りじゃ生きられないんだよ。大人でも、子供でも、助け合って生きているんだ」
「うん。でも、私たちの場合は助け合ってるんじゃない。私だけが、助けてもらってた」
「だけが?」
「他に頼る人はいなかった。本当に独りだったから…」
今はダンがいるけど、と微笑むに、ダンは彼女の日本での生活の孤独さを呪った。
「そんな中で、景吾が私を支えてくれた。愛してくれた。すごく幸せだったけど、そんな一方通行の関係なんて、続かないでしょ?」
「……」
「暗い話はおしまい。もう寝るね。夜更かしは美容の大敵ですから」
きれいな頬をパチパチと叩きながら、席を立ったは、お休みのキスを残して、部屋を出て行った。
「君にそっくりだと思わないかい?」
空になったグラスにワインを注ぎ、写真の中で微笑む女性にダンは語りかけた。
そこには、と同じ黒髪で、同じ笑顔で微笑む、幸せそうな愛しい女性がいる。
「愛する人のことばかり考えて、自分の気持ちなど二の次だ。本当に、君そっくりだよ」
娘が一番だから、と、何度デートを断られただろう。
娘を愛してくれる人以外はいらない、と、何人もの男を跳ね除けていた。
そんな彼女をダンが射止めたのは、のこともまた、母親と同じように心から愛していたからだ。
血の繋がらない娘。愛する女性が遺した、貴重で愛しい存在。
そんなとの生活が、今のダンにとっては何よりも大切で、愛しいものだった。
「でもね、僕は思うんだ。大人に甘えるのも、頼るのも、子供の特権だと」
写真の中の女性は、ダンの言葉を肯定するかのように、優しい笑みを浮かべている。
「子供を甘やかすのも、望みを叶えるのも、親の特権だと思わないかい?」
乾杯、とグラスを掲げたダンに、写真の中から声が聞こえた気がした。
「私の分まで、あの子を甘やかしてやってね」と。
の母親は、もういない。写真の中で微笑むことしかできない。
血を分けた父親は、その責任も権利も、金という不確かな物の前に、そのすべてを放棄した。
天国にいる母親の代わりに、娘を甘やかすのは、父親である自分の役目だ。
血の繋がらない娘の悲しい笑顔を思い、ダンはグラスを置いた。
、知ってるかい?
父親というのは、娘の恋人なんか、歓迎しないものなんだよ。
だがね、娘が悲しむのは、もっと嫌なんだ。
早く大人になりたいと、君たち子供は言う。
でも、例えいくつになっても、親にしてみれば、子供は子供なんだ。
それでも、いつか必ず、子供は親の元を離れていく。
もうすぐ18歳を迎える君にとっては、そう遠い未来のことではないだろう。
そんなとき、僕は君に笑っていて欲しい。
何かを我慢したり、諦めたり、あんな悲しい笑顔をしていて欲しくはないんだ。
だから、。
君は僕の子供なんだから、親である僕を頼っていいんだよ?
君が幸せになるために、僕は一緒にいるんだから。
コンピューターというのは便利なものだと、ダンは、深夜だというのに明るい光を放つ画面を見つめた。
マウスをクリックし、情報を書き込めば、これでチケットの予約ができる。
行き先は日本、東京。
可愛い娘を託す相手を、この目で確かめるのは、父親の当然の責任だろう?
悪巧みをする子供のように、ダンは楽しそうな笑みを浮かべた。
「出張?随分急なのね」
「仕事とはそういうものだよ。いい子にしてなさい」
出社拒否をする社長とは思えないほど楽しそうに、ダンは出張へ出かけた。
そんなダンの企みをが知るのは、もう少し後のこと…。